平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」難波之碕(なにはのみさき)顕彰碑
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平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」孔舎衛坂での敗戦
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平成23(2011)年8月14日(日)、盾津(たてつ)顕彰碑まで退却し梶無神社の地に再上陸
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第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)
参拝履歴
第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)
『高津宮(こうづぐう)』からの引用
浪速の地を皇都(高津宮:たかつのみや)と定め、大阪隆昌の基を築いた第16代仁徳天皇を主神とする神社。第16代仁徳天皇は高殿に昇り、人家の炊煙の乏しいのを見て、人民の窮乏を察し、諸税を3年間止めて庶民を救済した仁政を行ったという。
この仁政を慕い、866年(貞観8年)、清和天皇の勅命によって旧都の遺跡を探索して社地を定め、社殿を築いてお祭りしたのを創始とする。
以後、皇室をはじめ時の幕府等の度々の造営寄進を重ね、浪速津の守護神と仰がれたのだが、1583年(天正11年)豊臣秀吉の大阪城築城の際に比売古曽社の現在地に遷座した。
1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲により、神輿庫1つを残してことごとく焼失、1961年(昭和36年)に社殿以下復興完成した。
(「高津宮案内記」参照)
高津宮(こうづぐう)の本殿
ご祭神
第16代仁徳天皇第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)
高津宮(こうづぐう)の地図
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