雄略天皇が歌を詠んだとされる「国見山」【1】ここだけは紹介しておきたい!|大阪府

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大阪府東大阪市善根寺町1丁目山中( いつもNAVIによる広域地図
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 平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」難波之碕(なにはのみさき)顕彰碑

大阪天満宮難波之碕顕彰碑大阪城豊国神社(ほうこく)第16代 仁徳天皇の「高津宮(たかつのみや)」
第16代 仁徳天皇の「高津宮(こうづぐう)」神武天皇の「生国魂神社(生國魂神社)」

 平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」孔舎衛坂での敗戦

春日神社古戦場碑「龍の口霊泉」碑孔舎衛坂(くさえのさか)顕彰碑「厄山」と刻まれた石碑
「国見山」と呼ばれる「石の塊」「哮ノ峯(生駒山の北麓)」

 平成23(2011)年8月14日(日)、盾津(たてつ)顕彰碑まで退却し梶無神社の地に再上陸

盾津(たてつ)顕彰碑石切劔箭神社(いしきりつるぎや)石切神社(上の社)登美霊社婦道神社
宮山にある石切神社の元宮枚岡神社神津嶽(かみつだけ)の枚岡神社の本宮(元宮)梶無神社

雄略天皇が歌を詠んだとされる「国見山」という石塊

参拝履歴

雄略天皇が歌を詠んだとされる「国見山」という石塊

「国見山」という石塊

 雄略天皇が歌を詠んだとされる「国見山」という石塊。

 第一次天孫降臨のとき、天之火之明尊の斑鳩宮(哮峰)を築かれたのは、紀元前1,552,847年のこと。
 この時、天之火之明尊も第21代雄略天皇のように国見をされたかもしれない。
 天之火之明尊が崩御され、饒速日尊の時代に移ったとき、この「国見山」が天之火之明尊を象徴するものであった可能性も否定できない。
 現在ハイキングコースが整備されている現況を鑑みると、もっと平易なルートがあった可能性があるのに、なぜ神武天皇はこのルートを選ばれたのだろうか。
 この「国見山」と「哮ノ峯(生駒山の北麓)」にやってきたかったのではないかと思う。
 この「国見山」と「哮ノ峯(生駒山の北麓)」が神代でなんらかの重要な役割を果たしていた可能性を感じる。

準備中

準備中

「国見山」という石塊の地図

哮峯

神武天皇、孔舎衛坂での敗戦

難波之碕顕彰碑から第16代仁徳天皇陵