記録に残しておきたいメモ書き
平成22(2010)年6月17日(木)の夢、箕作山・赤神山に関わるだろうか・・
平成22(2010)年6月16日(水)、夕食を済ませて仮眠をとった。
夜の10時過ぎ、
「早く阿賀神社の整理をしなければ・・」
とうなされて目覚めた。
そんな彼女が手紙を残して学びの場からいなくなってしまったのだ。
という趣旨の内容だったと思う。
落胆しながら私は彼女の手紙の通り待つことにした。
「あなた、彼女の連絡先をご存知でない」
「至急に連絡を取らなければいけないことがあるのよ」
私が知らない旨を告げると、私の隣に座った仲間が
「俺が知っているよ」
と携帯電話のアドレス帳から電話番号を検索した。
その番号は
「0000-000-0000」
というものだった。
ウソっぽい電話番号だと思い、
「彼女の連絡先だったら渋沢が知っていると思うので私が聞いておいてあげますよ」
と答えた。
彼女は
「落ち着いたらご連絡差し上げますので、待っていてください」
と手紙を出してくれていたのだが、私の方から会いに行くこともできるのだ、と胸が高鳴った。
夜の10時過ぎ、
「早く阿賀神社の整理をしなければ・・」
とうなされて目覚めた。
起きだして、阿賀神社の写真の編集を終わらせてからベットに入った。
翌朝平成22(2010)年6月17日(木)に見た夢は、遠い昔、同僚の女性との幸福な関わりの夢朝の夢はとても幸福に包まれたものだった。私たちは常に並んで学んでいた。
お互いに好意をもっていることは、お互いが暗黙裡に知っていた。そんな彼女が手紙を残して学びの場からいなくなってしまったのだ。
手紙には
「落ち着いたらご連絡差し上げますので、待っていてください。」という趣旨の内容だったと思う。
落胆しながら私は彼女の手紙の通り待つことにした。
家庭の事情やらいろんな事情があるのだろう、と思ったからだ。
そんなある日、食堂のような大きな広間に仲間と一緒に座っているところに、ある婦人がやってこられて、「あなた、彼女の連絡先をご存知でない」
「至急に連絡を取らなければいけないことがあるのよ」
私が知らない旨を告げると、私の隣に座った仲間が
「俺が知っているよ」
と携帯電話のアドレス帳から電話番号を検索した。
その番号は
「0000-000-0000」
というものだった。
ウソっぽい電話番号だと思い、
「彼女の連絡先だったら渋沢が知っていると思うので私が聞いておいてあげますよ」
と答えた。
こうして私は彼女の居所と、連絡先を知ることになったのだった。
彼女の居場所と連絡先を知って私はとても幸福だった。彼女は
「落ち着いたらご連絡差し上げますので、待っていてください」
と手紙を出してくれていたのだが、私の方から会いに行くこともできるのだ、と胸が高鳴った。
こういう物語が阿賀神社周辺であったのかもしれない。
そして、この物語の続きが平成22(2010)年2月27日(土)の夢へと続いていったようだ。平成22(2010)年2月27日(土)の夢は高島市に関わる夢だ・・
平成22(2010)年2月27日(土)の朝、私は怒りと憎しみに満ちた夢で目覚めた。
その女性教師があるトラブルに巻き込まれて、ある教室である人物と話し合いをしようとしているらしかった。
ある人物は教室の窓側に机と椅子を高く積み上げて小高い山のようにしていて、その上で寝そべっていた。
その椅子と机で小高くなった頂から
「なんだ女じゃねぇか」
「これはいいや」
と舐めるように見回し、今にも自分のものにしようという雰囲気だった。
「こうやるとお前なんか命がなくなるのだぞ」
「こうやるとお前なんか死んでしまうのだぞ」
・・・と怒りと憎しみに満ちて自分自身が抑えきれなくなっていた。
寝そべっている猿田彦命との類似性、鈿女命との類似性、覗き見をした彦火々出見尊との類似性。
女性教師がいる辺りは志呂志神社(しろし)なような気がするが、だとすると、机と椅子を高く積み上げた小高い山は拝戸の水尾神社か大炊神社あたりなのだろうか、田中神社か三尾神社跡あたりだろうか、と思っている私がいる。
このあたりで私自身が抑えきれない怒りと憎しみに捉われて暴発したことがあったのだろう。
これまでの私の人生で、中背で弁当箱のような体系の人物に会ったことがあるが、その度にこういう人物に苦手意識を常にもってきたのだ。
遠い過去のこういう記憶が原因なのだろう。
私は教師だった。
私は同僚の髪の長い女性教師に好意を寄せていた。その女性教師があるトラブルに巻き込まれて、ある教室である人物と話し合いをしようとしているらしかった。
ある人物は教室の窓側に机と椅子を高く積み上げて小高い山のようにしていて、その上で寝そべっていた。
その椅子と机で小高くなった頂から
「なんだ女じゃねぇか」
「これはいいや」
と舐めるように見回し、今にも自分のものにしようという雰囲気だった。
隙間から教室の中を探っていた私は怒りと憎しみの感情を抑えきれなくなった。
教室のドアを開け、そのある人物の胸ぐらをつかみ、「こうやるとお前なんか命がなくなるのだぞ」
「こうやるとお前なんか死んでしまうのだぞ」
・・・と怒りと憎しみに満ちて自分自身が抑えきれなくなっていた。
目覚めてからも怒りと憎しみが抜けきらない、それほど激しいものだった。
◆上の夢は、2月25日(木)と2月26日(金)のトラブルと、志呂志神社(しろし)・長田神社・大炊神社・白鬚神社に関わる遠い昔の記憶なのだろうと思った。寝そべっている猿田彦命との類似性、鈿女命との類似性、覗き見をした彦火々出見尊との類似性。
女性教師がいる辺りは志呂志神社(しろし)なような気がするが、だとすると、机と椅子を高く積み上げた小高い山は拝戸の水尾神社か大炊神社あたりなのだろうか、田中神社か三尾神社跡あたりだろうか、と思っている私がいる。
このあたりで私自身が抑えきれない怒りと憎しみに捉われて暴発したことがあったのだろう。
これまでの私の人生で、中背で弁当箱のような体系の人物に会ったことがあるが、その度にこういう人物に苦手意識を常にもってきたのだ。
遠い過去のこういう記憶が原因なのだろう。
滋賀県高島市の安曇川周辺には、私にとって抜き差しならない何かある。
上の2つの夢の流れで老蘇の森に怒りと憎しみの実体が潜むことになった
老蘇の森の位置に気付いたのは平成22(2010)年3月3日(水)だった。
平成22(2010)年3月3日(水)、沙沙貴神社と沙沙貴山の整理を始める日に、私に向かって無礼な発言をする人物がいた。よく無礼な発言をする人だ。
鵄さんやnakaさんもそういえばそんなことを言っていた。
平成21(2009)年12月17日(木)に見た下の映像が頭を駆け巡った・・
同時に
「言葉は神を称えるもの」
と大きな声で宣言されていた。
自宅に帰って、御上神社の整理を進め、沙沙貴神社の編集にかかると、上の画像の背後か下の方でうごめいているものが見える。
「あれがそうなんだ」
「瓊々杵尊が100万年のときの流れを想定して三上山を造成されたのは、あのためでもあるんだ」
と思った。
◆ 平成22(2010)年3月6日(土)、「時を違えるでないぞ・・」と声を掛けられた。
佐々木山と沙沙貴神社の周辺事情を言葉でシッカリ表現しておくことが必要なのだと思った。すぐに飛び起きて、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の最低限の引用を記載してアップした。
平成22(2010)年3月3日(水)に頭を駆け巡っていた下の映像の下の方でうごめいていたのは佐々木山周辺に関係するものらしい・・
半土で自宅に戻り、続けて『秀真伝(ほつまつたゑ)』の書き写しに入った。
→ 佐々木神社での『秀真伝(ほつまつたゑ)』の引用ページ
それから、佐々木山の背後(イメージ的には東側)を地図で調べた。
「老蘇の森」といわれるところに「奥石神社(おいそ)」がある。「 老蘇(おいそ)の森由来
奥石神社本紀によれば、昔此の地一体は、地裂け水湧いて人住めず、七代孝霊天皇の御宇、石辺大連翁等住人がこの地裂けるを止めんとして神助を仰ぎ多くの松・杉・桧の苗を植えしところ不思議なる哉忽ちのうちに大森林になったと云われている。
この大連翁は弱い百数十才を数えて尚矍鑠と壮者を凌ぐ程であったので、人呼んで『老蘇(おいそ)』
と云ひこの森を老蘇の森と唱えはじめたとある。 」
さらに東側には、箕作山(みつくりやま)と赤神山があり正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祀っている阿賀神社(あが)がある。
急所に天照大神と忍穂耳尊が降り立たれた格好だ。
思えば、忍穂耳尊はスゴイ場所に降りられている。
白山の別山もそうだし、箱根神社もそうだ。九頭龍や火の国の「怒りと憎しみ」を鎮めようとされている。
神のことを人間が評価するのもおかしいが、スゴイの一言に尽きる。
◆ 平成22(2010)年3月29日(月)、ある人霊との会話があった。
それを踏まえての平成22(2010)年6月17日(木)の「遠い昔、同僚の女性との幸福な関わりの夢」だ。この夢は、平成22(2010)年2月27日(土)の夢へと続いていったようだ。
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