伊邪那岐(伊弉諾)と伊邪那美(伊弉冊)の国生み(島生み)
伊邪那岐(伊弉諾)と伊邪那美(伊弉冊)の国生み(島生み)の年表作成上の参考文献
千引の岩戸開きを知らせるのは『新版 ひふみ神示』をおいて他に書は無いと思うので、国生み(島生み)の解題は『新版 ひふみ神示』の記述に準じて行います。
『古事記』が書記された時代の制約のため、伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みが未完に終わっていること、私たちの時代に千引の岩戸開きが行われること、那岐那美両神は未完の国生みを完結されること、これらのことに『古事記』では触れられていません。
上のように『古事記』には書記された時代の制約がありますが、しかし、聖典としての位置が揺らぐものではありません。あくまで、書記された時代の制約があるだけです。
『古事記』が書記された時代の制約のため、伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みが未完に終わっていること、私たちの時代に千引の岩戸開きが行われること、那岐那美両神は未完の国生みを完結されること、これらのことに『古事記』では触れられていません。
上のように『古事記』には書記された時代の制約がありますが、しかし、聖典としての位置が揺らぐものではありません。あくまで、書記された時代の制約があるだけです。
「おのころの国成り」〜『ひふみ神示』第6巻日月の巻第30帖
おのころの国成り | 島根県の島前(西ノ島・中ノ島・知夫里)、島後が「オノコロ」の位置を伝えているらしい。 |
この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。 | 上記の「オノコロ」のなかで、西ノ島(島前)の焼火神社の位置が「あめとの御柱」に相当するらしい。 |
茲に伊邪那岐命伊邪那美命島生み給ひき。
初めに、
水蛭子(ひるこ) | 島根県の島前(西ノ島・中ノ島・知夫里)が水蛭子(ひるこ)の位置で、焼火神社の場所に祀られていたのかも知れない。 |
淡島(あわしま) | 島後が「淡島(あわしま)」の位置に相当し、水祖神社(みおや)で祀っていたのかもしれない。 |
生み給ひき。
この御子国のうちにかくれ給ひければ、次にのりごちてのち生み給える御子、
淡道之穂之三別島 (あわじのほのさわけしま) |
平成20(2008)年7月6日 (日曜日)23時過ぎ、 サワケのホのミコト、お出ましになられる。 |
主要神社:鳥取県米子市彦名町の粟嶋神社 |
伊予の二名島、この島、 | 愛媛(えひめ) | 主要神社: |
(いよのふたなしま) | 飯依比古(ひひよりひこ) | 主要神社: |
大宜都比売(おおけつひめ) |
►徳島県徳島市一宮町にある一宮神社 伊弉諾尊と伊弉冉尊の国生みの「大宜都比売」がここであろう。 (※)神生みの「大宜都比売神(おほけつひめのかみ)」は徳島県名西郡神山町神領にある上一宮大粟神社である。 |
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建依別(たてよりわけ) | 主要神社: |
という。次、
隠岐(おき)の三子島 (みつこしま) |
天之忍許呂別 (あまのおしころわけ) |
主要神社: |
次、
筑紫島、この島 | 白日別(しらひわけ) | 主要神社: |
(つくししま) | 豊日別(とよひわけ) | 主要神社: |
建日向日豊久土比沼別(たけひむかひとよくづひぬわけ) | 主要神社: | |
建日別(たてひわけ) | 主要神社: |
次、
伊伎島(いきしま) |
天比登都柱 (あめのひとつはしら) |
主要神社: |
次、
津島(つしま) |
天狭手依比売 (あめのさてよりひめ) |
主要神社: |
次、
佐渡島(さとしま) |
平成20(2008)年11月24日 (月曜日)21:00、内なる声 「あなうれし、伊邪那美命お出ましになられる、あわせてさどのみことおでましになられる 本日をもって国生みの終了となす・・」 |
主要神社: |
次、
大倭秋津島 (おおやまとあきつしま) |
天津御空豊秋津根別 (あまつみそらとよあきつねわけ) |
主要神社: |
次、吉備之児島(きびのこしま) | 建日方別(たてひかたわけ) | 主要神社: |
次、小豆島(あづきしま) | 大野手比売(おおぬてひめ) | 主要神社: |
次、大島(おおしま) | 大多麻流別(おおたまるわけ) | 主要神社: |
次、女島(ひめしま) | 天一根(あめひとつね) | 主要神社: |
次、知詞島(ちかのしま) | 天忍男(あみのおしを) | 主要神社: |
次、両児島(ふたこしま) | 天両屋(あめふたや) | 主要神社: |
二島、八島、六島、合わせて十六島生み給ひき。
===== 以上は、下の表に示してある ======
次にまたのり給ひて、大島、小島、生み給ひき。淡路島(あわじしま)、二名島(ふたなしま)、おきの島、筑紫(つくし)の島、壱岐(いき)の島、津島(つしま)、佐渡(さど)の島、大倭島(おおやまとしま)、児島(こじま)、小豆島(あづきしま)、大島(おおしま)、女島(ひめしま)、なかの島、二子島(ふたこしま)の十四島、島生みましき。
===== 以上も、下の表に最初の二島八島六島との対応関係を示してあります ======
おのころの国成り、この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。
人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生れたのであるぞ。故に同じ型、同じ性をもっているぞ、そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、先づ国土をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならし八尋殿(やひろどの)を見立てられたのであるぞ、
これがこの世の元、
人民の頭に、東西南北の四方があり八方と拡がるであろうが、八十となり、八百、八千と次々に拡がりて八百万(やをよろづ)となりなるのであるぞ。以上は 『五十黙示録』 第6巻『至恩の巻』第5帖 より
出口王仁三郎の「おのころ島」 | 出口王仁三郎は日本が「おのころ嶋」であり、かつ、日本が大宇宙の中心であるとしている。 こう捉えた場合、自転倒島を祭るのにふさわしいところは、伊勢神宮かもしれません。 |
和歌山県の友ヶ島(友が島) 〜伊邪那岐尊・伊邪那美尊の時代の「おのころ島」 |
和歌山県の友が島(沖の島・神島・虎島・地ノ島の4島の総称)を「おのころ島」と捉える。 → マピオン地図 |
沼島 〜伊邪那岐尊・伊邪那美尊の時代の「おのころ島」 |
兵庫県南淡路市沼島を伊邪那岐尊・伊邪那美尊の時代の「おのころ島」と捉える。 → マピオン地図 |
榎列のおのころ島神社 |
南あわじ市榎列のおのころ島神社 大和大国魂神社(二之宮)の氏子が創建した。 → マピオン地図 |
絵島 |
(淡路島)淡路市岩屋 明石大橋を降りて岩屋神社へ向かう手前にあった。 「おのころ島」と紹介されることが多いが、「おのころ島」であるという実感を感じることは出来なかった。 → マピオン地図 |
成田 亨(なりたとおる)説の「おのころ島」
島根県の隠岐の島(島前と島後) → マピオン地図 |
そのかみの天津神はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りのはてにイザナギ、イザナミの命となり給ひて、先づ国土をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならし八尋殿(やひろどの)を見立てられたのであるぞ 島前(西ノ島・中ノ島・知夫里島)と島後が、オノコロの四音の島であると私は捉える 焼火(たくひ)神社の位置が、この時の八尋殿(やひろどの)だろう。 島前(西ノ島・中ノ島・知夫里島)と島後の面白さは、次の国生み(島生み)で水蛭子・淡島となって現れる点だ。 島前(西ノ島・中ノ島・知夫里島)が水蛭子であり、島後が淡島にあたる。 さらに、最終の島生みにおいて、隠岐の三子島となって現れた。 オノコロの四音 ↓ 水蛭子・淡島 ↓ 隠岐の三子島 |
二島。初めに水蛭子(ひるこ)、淡島(あわしま)生み給ひき。
伊邪那岐命と伊邪那美命は、初めに水蛭子(ひるこ)と淡島(あわしま)を生んで、そして 「この御子国(水蛭子と淡島)のうちにかくれ給ひ」て御子を産んでいった。
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