天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)と栲機千々姫の略表|聖地 日本の神社|「月の光」

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天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)と栲機千々姫の略表

天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)と栲機千々姫の略表作成上の参考文献

『注釈 上紀(うえつふみ)』 (八幡書店、上下巻)

『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』(八幡書店、上下巻)

天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)と栲機千々姫の略表

実年数 大濡煮命の代より数えて   内  容
紀元前
1,793,174年
21鈴木 125枝 31穂
1鈴木=1,000枝=60,000穂
1枝=60穂 ・ 1穂=1年
1,207,531年
 那岐那美両神、子を孕みてより96ヶ月(8年)後の1月1日の初日とともに、天照神誕生。
 天照神の即位の大礼
紀元前
1,710,395年
22鈴木 505枝 10穂
1,290,310年
 3月、天照神宮津宮を出発し、4月望安国宮へ帰還。
 天照神、伊雑宮遷座。
 忍穂耳尊誕生(瀬織津姫)。
紀元前
25鈴木 100枝 28穂
1,446,011年
 日高見の御座の跡に多賀壷若宮遷座。
 栲機千々姫の輿入れ。
紀元前
25鈴木 130枝 58穂
1,447,858年
 1月1日、忍穂耳尊即位。
 奇玉火之明尊、十種神宝を賜り葦原国へ派遣。
  (第一次天孫降臨)
 斑鳩宮の創建の翌日、飛鳥宮創建の命を出す。
 このとき大物主奇彦命諌言し天児屋根命とともに政務を退く。
紀元前
29鈴木 501枝 38穂
1,710,098年
 瓊々杵尊、八洲巡狩を許され、天照神より三種神器を授与される
 (第二次天孫降臨)。
 子守神を剣臣、春日神を鏡臣とす。
紀元前
30鈴木
1,710,098年
 忍穂耳尊、瓊々杵尊と火之明尊を召し遺言を告ぐ。
 忍穂耳尊、伊豆尾走りの洞に神上がり、箱根神と称される。
 瓊々杵尊、伊豆崎宮にて箱根神を3年祭る。
 栲機千々姫、伊勢に行き天照神に仕える。

「持子の九頭龍(九頭竜)は、天之穂日命(天之菩卑能命)の母」の参考神社

 姉の持子(穂日尊の母で九頭龍)と妹の早子(三女神の母で八岐大蛇)は、伊邪那岐尊の弟で根の国(北陸)の益人・椋杵命が父である。
 早子が真名井(京都府宮津の宮)で産んだ3人の子、一番目が沖津島姫竹子(たけこ)、二番目が江ノ島姫湍子(たきこ)、三番目が市寸島姫田奈子(たなこ)。
 天照神がみた夢、「十握の剣が三段に折れ、それを噛みに噛んで(相模という地名の由来か?)三つの玉とした」。そして、生れたのが竹子、湍子、田奈子の三姫。三つの玉の夢により、「タ」を付けた。
 持子と早子は、天照神を亡きものにしようとした陰謀が露見し瀬織津姫から筑紫の宇佐の赤土命の宮に蟄居を命じられるが、持子と早子はそれに従わず赤土の命の宮を出て流人となってのち、出雲の簸川で大蛇に還元した。

『秀真伝』(八幡書店刊、鳥居礼編著)上巻「御機の十一」より

 三種譲り御受けの紋 ー『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』 (八幡書店、上巻、P524)  

二十五鈴 百枝十一穂 (※)ウイジニ尊の御世より144万6,011年経て。
日高見の 御座の跡に  
また都 遷して名付く  
多賀のコフ 壷若宮の (※)長官や守などに近い意味で使われていた「カフ」「カウ」という純粋和語と後世の国府(コフ)とを写本時に混同したか?
 壷は方壷、若宮は東宮のこと。
殿門も 高屋甍(いらか)も  
悉く成り 占の吉き日に  
渡座しの 君は天照  
世嗣御子 母は日の前  
向津姫 諱(いみな)穂の子の  
産宮は 藤岡耳の  
忍穂井に 生れます御子の  
乳に噎ぶ(むせぶ) 繦褓(むつき)湿して (※) 繦褓(むつき)とは産衣のこと。
忍仁の 忍穂耳尊とぞ  
聞こし召し 多賀若宮に (※)近江国多賀宮の若宮のこと
養します 日足るのときに (※)伊邪那岐尊が神上がられると
思兼命 和歌姫ともに  
守り育つ 万麿(よろまろ)命一人  
そばにあり 君は弱くて  
禊まれ 伯母去りませば (※)和歌姫が神上がると。
カウの殿 政執(まつりと)るゆえ  
万麿(よろまろ)命お 日高見の神  
君は去年 壷お慕ひて  
行幸なる 多賀の都お  
引き遷し カウの栲機  
千々姫と 十二の局も  
備われば 宮内(みうち)の祝ひ  
整ひて 神に御告げの  
神遣い 津軽君の子の  
島津大人(しまづうし) 上る秀真国の  
雄走の 坂に行き逢う  

(※)多賀若宮に 養します ー『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』 (八幡書店、上巻、P531 の注記) 

 近江国多賀宮のこと。
 忍穂耳尊は、
 藤岡穴山の忍穂井(現在伊勢外宮域内)、
 近江国多賀宮の若宮、
 日高見国の多賀若宮に足跡を残し、
 最後は箱根神社(神奈川県)に祭られている。

(※)藤岡穴山の 忍穂井に ー『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』 (八幡書店、上巻、P362 の注記) 

 外宮域内の多賀宮に御井があり、下御井神社と称している。
 これとは別に上御井神社(かみのみいじんじゃ)別名「忍穂井」が藤岡山(外宮敷地内)の麓にあり、度会神主の先祖がこの水を高天原から授けられて日向の高千穂に降り、次に丹波の天の真名井に移され、豊受神の伊勢遷祀とともにこの地に移されたという伝承を有している。
 この上御井の水の御饌に用い、それに異常があるときは下御井の水を使う慣わしがある。
 この高天原ー日向ー丹波の真名井ー外宮
 という軌跡は
 天照神の遷宮経路、すなわち、
 日高見(高天原)→丹波の真名井(宮津の宮)ー伊雑宮
 に類似している。

(※)雄走 ー『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』 (八幡書店、上巻、P531 の注記) 

 宮城県の多賀と三重県の伊雑のちょうど中ほどにある、箱根峠のこと。二十四紋に
「伊豆雄走りの洞穴(ほらあな)に親ら入りて箱根神」(24−37)
 とみえる。

『秀真伝』(八幡書店刊、鳥居礼編著)下巻「御機の二十四」より

 忍穂耳尊の遺言 ー『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』 (八幡書店、下巻、P26)

二十五鈴 百枝十一穂 (※)ウイジニ尊の御世より144万6,011年経て。
日高見の 御座の跡に  

(※)藤岡穴山の 忍穂井に ー『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』 (八幡書店、上巻、P362 の注記) 

天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)と栲機千々姫の参考神社

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施設名 住所 備考
白兎神社 鳥取県 備考
淤岐島 白兎海岸 備考

(参考)『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』(八幡書店、上下巻) (八幡書店、上巻、P の注記) 

 参考

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