ゼカリア・シッチンの年表
出口王仁三郎の『霊界物語』は30〜35万年前の地の高天原の物語
出口王仁三郎の『霊界物語』は、30〜35万年前頃からの地の高天原(イスラエル)の物語とされる。
ゼカリア・シッチンの『12番惑星ニビルからやって来た宇宙人
』は、シュメールの文献を手がかりに、聖書を科学的に読もうとする著作で、「アダム」が創られたときの事情を書いているのでとても面白い。
アヌンナキが、地球にやってきたのはノアの大洪水より43万2000年前であるとしている。
時代的には、30〜35万年前頃からの地の高天原(イスラエル)の状況を記述しているとされる『霊界物語』と重なっている。
『霊界物語』では、アダムを「天足彦(あだるひこ)」、イブを「胞場姫(えばひめ)」と表記している。
アヌンナキたちが中東にやってきた44万年前とは、鵜葺草葺不合尊が統治を始めて5万年ほど経てからことだ。
紀元前60,736年には、天照神が神上がられている。
この天照神の神上がりという出来事が起こったあたりに、メトシェラが誕生(71,140年前)し、レメクが誕生(59,920年前)している。
『秀真伝(ほつまつたゑ)』や『霊界物語』の地平上で、ゼカリア・シッチン氏の主張やグラハム・ハンコック氏の『神々の指紋』(1996年2月翔泳社刊)の主張を検分できたら非常に面白いだろう。
出口王仁三郎の『霊界物語』は、太陽系の各惑星から神々が降臨し地球での神業に励む様子が書かれているので、ニビルのような惑星があり、そこから地球に降臨した人たちがいても何ら不思議ではない。
ゼカリア・シッチンが詳しく述べるのは、聖書をバックボーンにするため、「アダム」が創られて以降の時代だ。
「アダム」が創られたのは25万年前から11万年前の時代で、ネアンデルタール人だとする。
』を基本書にして年代記を作成してみる。
ゼカリア・シッチンの『12番惑星ニビルからやって来た宇宙人
アヌンナキが、地球にやってきたのはノアの大洪水より43万2000年前であるとしている。
時代的には、30〜35万年前頃からの地の高天原(イスラエル)の状況を記述しているとされる『霊界物語』と重なっている。
『霊界物語』では、アダムを「天足彦(あだるひこ)」、イブを「胞場姫(えばひめ)」と表記している。
○ 『秀真伝(ほつまつたゑ)』(年表)は次のように伝えている。
紀元前489,645年に滋賀県大津市の「大津シノ宮」で彦火々出見尊と豊玉姫神が神上がられ、鵜葺草葺不合尊の統治の時代に入った。アヌンナキたちが中東にやってきた44万年前とは、鵜葺草葺不合尊が統治を始めて5万年ほど経てからことだ。
紀元前60,736年には、天照神が神上がられている。
この天照神の神上がりという出来事が起こったあたりに、メトシェラが誕生(71,140年前)し、レメクが誕生(59,920年前)している。
『秀真伝(ほつまつたゑ)』や『霊界物語』の地平上で、ゼカリア・シッチン氏の主張やグラハム・ハンコック氏の『神々の指紋』(1996年2月翔泳社刊)の主張を検分できたら非常に面白いだろう。
『霊界物語』霊主体従 子の巻(第一巻)発端 PP45-46 大正10(1921)年10月 霊主体従の身魂を霊の本の身魂といひ、体主霊従の身魂は私利私慾にふけり、天地の神明を畏れず、体慾を重んじ、衣食住にのみ心を煩はし、利によりて集まり、利によつて散じ、その行動は常に正鵠を欠き、利己主義を強調するのほか、一片の義務を弁へず、慈悲を知らず、心はあたかも豺狼のごとき不善の神や、人をいふのである。天の大神は、最初に天足彦(あだるひこ)、胞場姫(えばひめ)のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従(ちしき)の果実を実らせ、 『この果実を喰ふべからず』 と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。ふたりは体慾にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。 これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萠芽を見るにいたつたのである。 |
ゼカリア・シッチンが詳しく述べるのは、聖書をバックボーンにするため、「アダム」が創られて以降の時代だ。
「アダム」が創られたのは25万年前から11万年前の時代で、ネアンデルタール人だとする。
(※)アウストラロピテクス → ネアンデルタール人
ここでは、ゼカリア・シッチンの『12番惑星ニビルからやって来た宇宙人大洪水を起点として、43万2000年前からの年代記〜大洪水まで
時の起点は紀元、大洪水(ノアの箱舟)から
モーゼ誕生前から
![]() 1,513年 |
ヘブライのレビ人夫婦の子としてモーゼ誕生。 母親は防水を施した箱の中に自分の子を入れて、ナイル川に流した。 川の流れが箱を「ファラオの娘」(ハトシェプス)が水遊びをしているところまで運んでいってしまった。 彼女は、結局、この子を養子にしてしまい、モーゼと名付けた。 トトメス1世と彼の腹違いの妹との間に生まれていたこの水遊びをしていた娘だけが「ファラオの娘」という敬称を使うことが許されていた。彼女はハトシェプスという名だった。 トトメス1世が、紀元前1512に死んだ時、男性の後継者は、ハーレムの生んだ息子しかいなかった。 この息子がトトメス2世になるためには、腹違いの妹ハトシェプスと結婚し、自分自身と子どもたちへの相続の正当性を主張する必要があった。 ○ 伝説の森公園(モーゼパーク)|宝達志水町によると、 宝達山の伝説では、モーゼは能登半島に渡ってきて「583歳」の超人的な天寿を全うした、という。「583歳」というのは、紀元前930年にあたる。 |
P469-470 |
![]() 年前 |
モーゼ誕生から「3,500年かかるオラム(Olam)」とは、1987年(昭和62年)になる。 |
|
紀元前 1,433年 |
ニサン(新年)の月の14日。 モーゼ80歳のとき、「過ぎ越しの休日」。 |
P474 |
紀元前 1,400年 |
モーゼが死にヨシュアがイスラエルの民を指揮・・、奇跡は、ギブオンの野での戦いである。 聖書のヨシュア記第10章によれば、「太陽も月も、一日中、静止してしまった」という・・ |
P474 |
3600年周期の惑星ニビルと3500年かかるのオラム(Olam)PP580-
ラビのガムリエが答えた。
「昔からの言い伝えで、天と地の間を旅行するのに、3,500年もかかるというのに、貴方は、その中の、ほんの小さな点を指し示せというのですか?」
先生は、ユダヤの伝説を例にあげ、
「神がおられるところは、3,500年もの旅を必要とする遠いところだ」
と答えている。
ニビルが太陽のまわりを一周するのに3,600年かかる。
しかし、文脈を素直に受け取れば、「3,500年」と認識された年数と「3,600年」と認識された2つの年数があったと理解するとどうなるか。
「3,500年かかるオラム(Olam)」と「3,600年周期の惑星ニビル」という風の2つの存在が浮かび上がってくる。
←「ゼカリア・シッチンの年表」の先頭へ戻る
「昔からの言い伝えで、天と地の間を旅行するのに、3,500年もかかるというのに、貴方は、その中の、ほんの小さな点を指し示せというのですか?」
先生は、ユダヤの伝説を例にあげ、
「神がおられるところは、3,500年もの旅を必要とする遠いところだ」
と答えている。
ニビルが太陽のまわりを一周するのに3,600年かかる。
PP580-581
ゼカリアシッチンは、ここに3,500年と3,600年の同質性を見出している。しかし、文脈を素直に受け取れば、「3,500年」と認識された年数と「3,600年」と認識された2つの年数があったと理解するとどうなるか。
「3,500年かかるオラム(Olam)」と「3,600年周期の惑星ニビル」という風の2つの存在が浮かび上がってくる。
Copyright (C) 2002-2014 「月の光」成田亨 All Rights Reserved.
お問合せはこちらのメールフォームからお願いします。※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。