大和三山(畝傍山・天香山・耳成山)|奈良県|聖地日本の神社


大和三山全体の説明天香久山畝傍山耳成山

大和三山(畝傍山・天香山・耳成山)

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大和三山〜『新月の光』(木庭次守編、八幡書店)上巻PP325-327より

 大和三山は畝傍山は出口(いづぐち)で出口、天の香山は鼻で、耳成山は耳で三山を至上がお踏みになると大変なことになるのである。
 (大正5年4月2日、旧2月30日、大正天皇橿原行幸)
 日本はこの山があるので世界で一番尊いのである。

 天の香山〜嗅山(かぐやま)、鼻成山(はななすやま)、花の山(はなのやま)。

 三種の御神器にては、神ジであり、玉体(ぎょくたい)であり陛下の御鎮台であります。

 畝傍山稜威日(うねび)出日(うねび)日出山(うねびやま)口成山(くちなすやま)

 三種の御神器にては、大皇鏡(おおみかがみ)の鎮台である。

 耳成山〜聴く山(きくやま)にして、気山(きやま)である。また真釣山(まつりやま)である。

 三種の御神器にては、草薙神剣(くさなぎしんけん)の御鎮台である。
畝傍山周辺図

畝傍山の意義を略解する前に・・

 畝傍山(うねびやま)の意義を、略解せむとするには、順序として大和三山の御由来を、説明せなくてはならぬ。
 畏くも三種の御神器は、極貴極尊(きょくききょくそん)にして極儀式(きょくぎしき)を保ち給ふが故に、直接に御名を称え奉らずして、その鎮台なる大和の三山を以って呼び奉るのであります。
 この三山は礼(れい)の至(し)にして、敬(けい)の極(きょく)である。
 万葉集御伝授に祥記さるるをみるべきである。
 大和の三山とは、天の香山(あまのかぐやま)、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなすやま)のことである。
 日本の国の国中に、金輪際より顕立し居る神山で、かつ天底より養ひ居る所の、天の機脈に棲息せる霊峰であります。

天の香山は、嗅(かぐ)山である。鼻成(はななす)山である。花(はな)の山である。

 天の香山(あまのかぐやま)は、嗅山(かぐやま)である。鼻成山(はななすやま)である。花の山(はなのやま)である。
 吾人の体にしても面(おも)の正中に位して息の緒なり、玉の緒の庫(くら)である。
 この鼻の穴なき時は、一分間も吾人は生命を保持することは出来ない。大地球といえどもまた同一であって、天の香山(あまのかぐやま)に依って生命を保ち得るので、地球においても吾人の身体に於いても第一の主司(つかさ)であります。
 三種の御神器にては、神ジであり、玉体(ぎょくたい)であり、陛下の御鎮台であります。
天香久山詳細地図
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畝傍山は、稜威日(うねび)、出日(うねび)、日出(うねび)、口成山(くちなすやま)

 畝傍山(うねびやま)は、稜威日(うねび)、出日(うねび)、日出山(うねびやま)の意義であり、口成山(くちなすやま)である。
 すなわち天照日の大神の御活霊として、世界を照らし給ふの稜威日(うねび)であります。
 三種の御神器にては、大皇鏡(おほみかがみ)の鎮台である。
 一天万乗の天津日嗣の主上が、大儀式を照らして、この稜威日山(うねびやま)を踏み占め鳴り出し給ふ所の75声が即ち八咫(やあた)の大皇鏡(おほみかがみ)に鳴りつきて、稜威日(うねび)の光を増し給ふが故に、現在を照らし給ふ御事柄は、昼夜を貫きとおし給ふが故に太陽よりも明かに、且つ厳重なる次第である。
 故に主上一度、この神山を踏み占め給うた時に於いては、この至大天球之中に、極智充実(かむつまり)ますところの、極乎恒々烈々神々霊々たる、蒸気よりも、煙よりも、香よりも、猶々微細にして、眼にも鼻にも入らざる所の神霊元子(こゑのこ)が、玉体に神集ひに集ひ来たりて、鳴り出る所の75声が、稜威(うねび)の光を増し給ふが故に、高天原が写真に結晶したる焦点の神鏡と成るのである。
 すなわち八咫鏡(やあたかがみ)を温め奉るが故に、善言美辞の言霊を以って、照らし説き極むる時は、世界一切の天津誠の真実理が、最も明白に照り渡るのであります。天津金木を、千座の置座に置き足はして、この75声の真象を明かに写し出し、その活機を顕示する時には、宇宙万有一切明かに照り徹り渡る。
 これぞ全く皇道大本の神諭にして、稜威日の神の出現であります。
畝傍山周辺図
畝傍山への4つの登山口
畝傍山登山口

耳成山(みみなすやま)は、聴く山(きくやま)、気山(きやま)、真釣山(まつりやま)。

 耳成山(みみなすやま)は、聴く山(きくやま)にして、気山(きやま)である。また、真釣山(まつりやま)である。
 世界の一切の物事を聴こしめし玉ひて、その物事一切に相当する言霊を以て、天秤釣(まつり)に真釣り(まつり)、善悪正邪理非曲直を厳重に切り分け、定め極め給ふてふ、草薙神剣(くさなぎしんけん)の御鎮台であります。
 剣は釣極(つるぎ)の意味である。
 両刃の釣合(つりあい)を尊みて、つるぎと読むのであります。