記録に残しておきたいメモ書き
三尾神社を探訪するキッカケになったのは・・
九頭龍の痕跡を探りたくて平成21(2009)年5月3-6日にかけて、岐阜県、福井県、京都市を周る行程を組んでいた。九頭龍の発生には白山の椋杵尊になんらかの原因があるように思えていたので、岐阜県の白山中居神社(はくさんちゅうきょ)、長滝白山神社(ながたきはくさん)、福井県の九頭龍湖周辺を周る予定でいた。
さらに、北の津といわれている気比神宮周辺にも足を延ばそうと調べていた。
気比神宮は、彦火々出見尊が兄から謀られて海宮に行くことになった海幸彦・山幸彦の舞台となった舞台であり、彦火々出見尊の御尊骸が納められた神社である。
という言葉を聞いたような気がした。
平成21(2009)年4月19日(日曜日)には、より鮮明な形で聞こえてきた。
「大津シノ宮を探せ・・」
「ウサギじゃ」
といわれている。
さらに、北の津といわれている気比神宮周辺にも足を延ばそうと調べていた。
気比神宮は、彦火々出見尊が兄から謀られて海宮に行くことになった海幸彦・山幸彦の舞台となった舞台であり、彦火々出見尊の御尊骸が納められた神社である。
平成21(2009)年4月18日(土曜日)、寝苦しさのなかで目を覚ますと
「宮を探せ・・」という言葉を聞いたような気がした。
平成21(2009)年4月19日(日曜日)には、より鮮明な形で聞こえてきた。
「大津シノ宮を探せ・・」
と。
大津シノ宮が、三尾神社である可能性を探っていると「ウサギじゃ」
といわれている。
三尾神社は「卯(うさぎ)」を神獣としている
大津シノ宮とは・・
紀元前1,290,607年(→年表)、瓊々杵尊は八洲めぐりの勅を得て、琵琶湖西岸の鵜川で猿田彦に会い、瑞穂の仮宮を築き、酒折の宮で木花咲耶姫に出会った。木花咲耶姫は、火明・火進・火遠(彦火々出見)の順で三つ子を産んだ。
天忍穂耳尊が箱根で神上がられた。
瓊々杵尊は、3年の喪祀りを済ませてから、比叡山を造営することになった。
その後、瓊々杵尊の「深き思ひの あるにより」、瑞穂の仮宮を正式に宮として造営され、鵜川の昔の跡に鵜川宮を造営し、新たに大津シノ宮を造営された。
この鵜川宮と大津シノ宮が海幸彦・山幸彦という名前が誕生した場所である。
瓊々杵尊の「深き思ひ」の内容は伺い知ることは出来ないが、今回の私の旅行の行程と私に聞こえてくる内容から考えると、九頭龍に関わりがあるのではないか、と思う。天忍穂耳尊の神上がられた箱根神社に九頭龍が祀られていることから類推して、神代史に重大な影響をもった琵琶湖周辺に九頭龍の痕跡がないほうが不思議なのだ。
琵琶湖周辺で九頭龍伝承をもつのは、三井寺の金堂裏側の「三井の霊泉」である。
「大津シノ宮」の時、この「三井の霊泉」は箱根神社や戸隠神社のように祀られていたのではないか?三尾神社の祭神を伊弉諾尊(伊邪那岐尊)とするところから・・
三尾神社の祭神を伊弉諾尊(伊邪那岐尊)とするところから、大津シノ宮が創建される以前の伝承があるはずである。
その伝承は『秀真伝(ほつまつたゑ)』では伝えられていないのかもしれない。
〔2〕伊弉諾尊は白山中居神社(はくさんちゅうきょ)に行ったのち、この三尾神社にこられた可能性がある点。
〔3〕第二次天孫降臨の時、瓊々杵尊は白山宮から琵琶湖西岸を南下してきている点。
その伝承は『秀真伝(ほつまつたゑ)』では伝えられていないのかもしれない。
注意すべきは、
〔1〕九頭龍は白山周辺から三井の霊泉にい行った可能性がある点。〔2〕伊弉諾尊は白山中居神社(はくさんちゅうきょ)に行ったのち、この三尾神社にこられた可能性がある点。
〔3〕第二次天孫降臨の時、瓊々杵尊は白山宮から琵琶湖西岸を南下してきている点。
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