持子の九頭龍|聖地 日本の神社|「月の光」

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持子の九頭龍

九頭龍・持子に関連する神社

 立山に祀られている椋杵命(伊邪那岐尊の弟)の娘・持子は九頭龍の転生であった。
 神代の時代、九頭龍の転生であった持子は天照神との間にある男子を産んだ。
 九頭龍の持子は陸奥の国から、「戸隠山から新潟県妙高村関山を回り、能生町までしっぽが届いたほどであった」と伝承で伝えられているように戸隠に落ち延びてきたのは、今から10万年前の話である。

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 九頭龍湖(福井県)の北側にある白馬洞善知鳥神社(うとう〜青森県青森市)能生白山神社(のうはくさん〜新潟県糸魚川市)関山神社(新潟県妙高市)九頭龍社(長野県長野市)神奈川県箱根芦ノ湖畔にある九頭龍神社(本宮)神奈川県箱根神社境内地にある九頭龍神社(新宮)

「持子の九頭龍(九頭竜)」の略表

実年数 大濡煮命の代より数えて   内  容
紀元前
1,793,174年
21鈴木 125枝 31穂
1鈴木=1,000枝=60,000穂
1枝=60穂 ・ 1穂=1年
1,207,531年
 那岐那美両神、子を孕みてより96ヶ月(8年)後の1月1日の初日とともに、天照神誕生。
 天照神の即位の大礼
紀元前
1,710,395年
22鈴木 505枝 10穂
1,290,310年
 3月、天照神宮津宮を出発し、4月望安国宮へ帰還。
 天照神、伊雑宮遷座。
 忍穂耳尊誕生(瀬織津姫)。
紀元前
25鈴木 100枝 28穂
1,446,011年
 日高見の御座の跡に多賀壷若宮遷座。
 栲機千々姫の輿入れ。
紀元前
25鈴木 130枝 58穂
1,447,858年
 1月1日、忍穂耳尊即位。
 奇玉火之明尊、十種神宝を賜り葦原国へ派遣。
  (第一次天孫降臨)
 斑鳩宮の創建の翌日、飛鳥宮創建の命を出す。
 このとき大物主奇彦命諌言し天児屋根命とともに政務を退く。
紀元前
29鈴木 501枝 38穂
1,710,098年
 瓊々杵尊、八洲巡狩を許され、天照神より三種神器を授与される
 (第二次天孫降臨)。
 子守神を剣臣、春日神を鏡臣とす。
紀元前
30鈴木
1,710,098年
 忍穂耳尊、瓊々杵尊と火之明尊を召し遺言を告ぐ。
 忍穂耳尊、伊豆尾走りの洞に神上がり、箱根神と称される。
 瓊々杵尊、伊豆崎宮にて箱根神を3年祭る。
 栲機千々姫、伊勢に行き天照神に仕える。

持子の九頭龍と早子の八岐大蛇

 姉の持子(菩卑命の母で九頭龍)と妹の早子(三女神の母で八岐大蛇)は、伊邪那岐尊の弟で根の国(北陸)の益人・椋杵命が父である。
 早子が真名井(京都府宮津の宮)で産んだ3人の子、一番目が沖津島姫竹子(たけこ)、二番目が江ノ島姫湍子(たきこ)、三番目が市寸島姫田奈子(たなこ)。
 天照神がみた夢、「十握の剣が三段に折れ、それを噛みに噛んで(相模という地名の由来か?)三つの玉とした」。そして、生れたのが竹子、湍子、田奈子の三姫。三つの玉の夢により、「タ」を付けた。
 持子と早子は、天照神を亡きものにしようとした陰謀が露見し瀬織津姫から筑紫の宇佐の赤土命の宮に蟄居を命じられるが、持子と早子はそれに従わず赤土の命の宮を出て流人となってのち、出雲の簸川で大蛇に還元した。

『秀真伝』(八幡書店刊、鳥居礼編著)下巻「御機の二十八」より

大己貴命 一姫お娶る  一姫とは竹子姫(田紀理姫)のこと
子の島津大人 三つ姫祭る  三つ姫とは宗像3女神の竹子姫(田紀理姫)・湍子姫(江ノ島姫・多岐津姫)・田奈子姫(市杵島姫)のこと
外が浜 厭(いと)う安潟   三つ姫を外が浜に厭(いと)う安潟神として祭る。
 青森市に善知鳥(うとう)神社がある。善知鳥(うとう)は青森市の鳥に指定されている。母鳥が「うとう」と呼ぶと、子鳥は「やすかた」と答える。猟師が母鳥の声をまねて子鳥を呼び出し捕える、と母鳥は空にあって血の涙を流したという。
神の御食 食む厭(うと)うあり
九頭の 大蛇が食めば  青森市に善知鳥(うとう)神社の周辺に八岐大蛇の姉である持子の九頭龍が潜んでいた。
島津大人 羽々矢斬り振れば  島津大人とは宗像3女神の長女・竹子姫の子。
逃げ至り 越の洞穴  青森市の善知鳥(うとう)神社周辺から九頭龍は逃げ出し、能生白山神社(新潟県能生町)周辺に至り、関山神社(新潟県妙高市関山)を通り、戸隠に逃げ延びた。この由縁により、戸隠神社ガ九頭龍ので、関山神社が九頭龍ので、能生白山神社が九頭龍の尻尾であるといわれるようになった。
(※)月の光>新潟県の奴奈川神社と弥彦神社
掘り抜けて 信濃に出れば
これお告ぐ 伊勢の戸隠命
馳せ帰り 「汝は恐る  戸隠命は伊勢の天照神の元で勅使をしている。
これ如何」 答えて「昔  
二人大蛇 姫に生まれて  持子が姉で、早子が妹。八岐大蛇は、早子と生まれて、宗像三女神(竹子姫・湍子姫・田奈子姫)を生み、九頭龍は姉の持子と生れて、菩卑命を生む。
君召せば 持子は御子生み  九頭龍の持子が生んだのは菩卑命。
 九頭龍は自分の犯した罪の中でも、子の菩卑命を案じたのだ。
 これは青森市の善知鳥(うとう)の伝承から読み取れるかもしれない。
 母鳥が「うとう」と呼ぶと、子鳥は「やすかた」と答える。猟師が母鳥の声をまねて子鳥を呼び出し捕える、と母鳥は空にあって血の涙を流したという。
典侍(すけ)となる 早子は姫生み  宗像三女神(竹子姫・湍子姫・田奈子姫)は八岐大蛇の化身であった早子の罪を祓うべく、日本各地を周った。その名残が、日本各地に残る弁財天社である。
内局(うちつぼね) 内(うち)瀬織津姫が  
御后(みきさき)に なるお持子が  
殺さんと 妬めば早子は  
君お強い 弟君請えど  ここの君は素戔嗚命のこと。
顕はれて ともに流浪ふ  
赤土命が 女お弟君に  速吸姫のこと。
因むおば 早子が大蛇に  
噛み殺す 弟足名椎命が  
女お請ゑば 七姫までは  
噛み食らふ 時に素戔嗚尊  
これお斬り 身を安潟と  八岐大蛇の化身であった早子は素戔嗚尊に退治された。
 今から160万年前のことだ。
祭るゆえ また大山祗命の  
娘と生まれ 妹お妬む  磐長姫と生まれる。
罪の鳥 また持子大蛇  
瀬織津姫お 噛まん噛まんと  
百五十万穂 蝦夷白竜(えぞしらたつ)の  九頭龍は150万年もの間、瀬織津姫を噛み殺そうと、蝦夷白竜の岳に潜んでいた。
 八岐大蛇が退治されたのは今から160万年前の出来事だから、九頭龍が戸隠の宮に留まったのは、今から10万年前の出来事だろう。
岳に待つ 今神となる  
空しさよ」 戸隠命曰く  
「汝今 日三の炎お  九頭龍の化身であった持子は、戸隠命に諭される。
断つべしぞ わが御食食みて  
下に居れ 祥禍身お守れば  
罪消えて また人なるぞ 「汝持子よ、日に三度の炎の苦しみを断つべきであるぞ。わが神饌を食み、戸隠宮に慎み居れ。わが身の善悪を知り、善を守ればやがて罪は消えうせるであろう。また人と生れることもできようぞ。大蛇の緒を切るべし」
緒お切れば 万のヲタウの  
山ぞハコザキ」    
 参考:月の光>津軽(青森)

九頭龍(九頭竜)について、新潟県に残されている伝承

 「烏踊り(からすおどり)」についてから九頭龍伝承の引用です。

  (参考): http://www2.ocn.ne.jp/~terase/hitorigoto/hitorigoto12.htm
 平安時代以降、戸隠山は修験の霊場として全国に知られていた。この地には九頭一尾の竜神がいた、その大きさは戸隠山から新潟県妙高村関山を回り、能生町までしっぽが届いたほどであった。関山神社には胴中権現、能生の白山神社には尾先権現が祀られた。九頭龍権現は水の神様で、昔から干ばつの時は全国から雨乞いの祈願に参拝する信者が多く、九頭龍伝説は語り伝えられ、信越地方一帯の水を司る神様として、水神信仰は現在も人々の生活の中に生きている。

 能生白山神社

    → 九頭竜の尻尾

 中頸妙高村の関山神社

    → 九頭竜の胴体

 戸隠神社奥社と並んである九頭竜神社

    → 九頭竜の頭

奈良時代の天平宝字元年(757年)、万巻上人が九頭龍を・・

 箱根神社と並んで九頭竜神社がある。
 箱根神社創建の由来を物語る年間最大のお祭り、例大祭の宵宮祭として、前日の7月31日夕刻に行われる湖水祭は、奈良時代の天平宝字元年(757年)、万巻上人が湖に棲む『九頭の毒龍』を調伏し、湖の主・龍神として鎮斎されたのに始まります。

 ちなみに空海(774年 - 835年4月22日)との時代比較。

 空海(774年 - 835年4月22日)は平安時代(794年-1185年/1192年頃)初期の僧。
 空海が生まれる17年前に、万巻上人は湖に棲む『九頭の毒龍』を調伏している。

平成7(1995)年7月、スサノオ命が・・

 平成7年7月28日スサノオ命が・・

「私はアマテラスに会わなければいけない、私がアマテラスに会わなければ、アマテラスは岩戸の中から出ることができないのだ、始めは戸隠にいるだろうと思っていたが、戸隠は地層がずれてしまっていて、以前のものではなくなってしまっていた、さあ大変、時間がないのだ、いろんなところに行ったがアマテラスに会う算段がとれないのだ」
施設名 住所 備考
真名井(宮津の宮) 京都府  三女神が生れた場所と推定される。
大宮売神社 京都府京丹後市  丹後二の宮。
 穂日命と三女神は持子と早子が蟄居を命じられるまでここで育てられていたか(?)。
   ☆ ☆ ☆
【神社の祭神】
   天鈿女命
   豊受大神
宇佐神宮 大分県宇佐市大字南宇佐2859  持子と早子は、天照神を亡きものにしようとした陰謀が露見し瀬織津姫から筑紫の宇佐の赤土命の宮に蟄居を命じられる。  しかし、持子と早子はそれに従わず赤土の命の宮を出て流人となってのち、出雲の簸川で大蛇に還元した。
 その後、穂日命と三女神はおそらく宇佐神宮で養育され(?)たのだろう。
 穂日命の消息は不明だが、三女神は、成人してから、おそらく宗像大社を拠点にして(?)、母の早子が八岐大蛇の化身であったことを恥じてそれぞれ流浪の旅に出た。
 一番目の沖津島姫竹子(たけこ)は沖つ島(滋賀県竹生島)へ、二番目の江ノ島姫湍子(たきこ)は相模江ノ島(神奈川県江ノ島)へ、三番目の市寸島姫田奈子(たなこ)は厳島(広島県厳島)へ。
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【神社の祭神】
一之御殿(八幡大神)
  誉田別命(応神天皇)
二之御殿(比売大神)
  多岐津姫命(たぎつひめのみこと)
  市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
  多記理姫命(たぎりひめのみこと)
三之御殿(神功皇后)
  息長帯姫命(おきたらしひめのみこと)
八本杉 島根県  八つの頭が埋められている
   ☆ ☆ ☆
【神社の祭神】
斐伊神社 島根県雲南市木次町里方
字宮崎463
 本社の創立は甚だ古く孝昭天皇五年にご分霊を元官幣大社氷川神社に移したと古史伝に記載してゐる。
   ☆ ☆ ☆
【神社の祭神】
 須佐之男尊 稲田比売命 伊都之尾羽張命
(合殿) 樋速夜比古神社 祭神 樋速夜比古命
善知鳥(うとう)神社
 → 公式サイト
青森県青森市安方2-7-18
TEL :017-722-4843
 「青森と善知鳥(うとう)」より
 「青森」という地名は、寛永元年(1624年)に津軽藩二代目藩主、津軽信牧(のぶひら)が小さな漁村だった善知鳥(うとう)村に藩港の開発を命じた事より始まり、漁師が目印にしていた小高い丘の森から由来して、「青森村」となったのが始まりとされている。
 「青森」の由来が明確だったのに対し、烏頭大納言安方の伝説はあったが、「善知鳥(うとう)村がなぜにそう呼ばれるようになったのかが謎であった。
 しかし、平成9年と10年に油川沖にてアマチュアカメラマンによって善知鳥(うとう)の姿が撮影され、また津軽藩の学者である山崎蘭州による『善知鳥(うとう)の図』が発見され、その文中に「外ヶ浜沖合いの島に棲む」と書かれていたのが明らかになった。
 「外ヶ浜」とは、現在の油川がかつて呼ばれた地名であることから撮影場所とも一致し、かつて善知鳥が生息していた裏付けとなった事から、「善知鳥村」の由来はその名の通り、善知鳥の姿が見られる珍しい場所であった事からなのだろう。。。
 ちなみに、善知鳥(うとう)青森市の鳥に指定されている。
 
 みちのくの怪道風>青森の伝説>東青>外が浜

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【神社の祭神】
能生白山神社
(のうはくさん)
 → 公式サイト
新潟県糸魚川市大字能生7238  能生白山神社は九頭竜の尻尾に相当するという伝承がある。
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【神社の祭神】
 伊弉那岐命(いざなぎのみこと)
 奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)
 大巳貴命(おおむなちのみこと)
妙高山の里宮
関山神社
新潟県妙高市関山  関山神社は九頭竜の胴体に相当するという伝承がある。
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【神社の祭神】
 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉册尊(いざなみのみこと)
 素盞嗚命(すさのおのみこと)
戸隠神社の九頭龍社
 → 公式サイト
新潟県妙高市関山  戸隠神社奥社と並んである九頭竜神社は九頭竜の頭に相当するという伝承がある。
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【神社の祭神】
 奥社(おくしゃ):天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
 中社(ちゅうしゃ):天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
 宝光社(ほうこうしゃ):天表春命(あめのうわはるのみこと)
 九頭龍社(くずりゅうしゃ):九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)  火之御子社(ひのみこしゃ):天鈿女命(あめのうずめのみこと)
箱根神社の九頭龍神社(新宮)
 → 公式サイト
神奈川県足柄下郡箱根町
元箱根80-1
 箱根神社と並んで九頭竜神社がある。
 箱根神社創建の由来を物語る年間最大のお祭り、例大祭の宵宮祭として、前日の7月31日夕刻に行われる湖水祭は、奈良時代の天平宝字元年(757年)、万巻上人が湖に棲む『九頭の毒龍』を調伏し、湖の主・龍神として鎮斎されたのに始まります。

(参考)『完訳 秀真伝(ほつまつたえ)』(八幡書店、上下巻) (八幡書店、上巻、P の注記) 

 参考

 参考