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平成22(2010)年5月2日(日)の参拝は白鬚神社から
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紀元前1,290,607年、瓊々杵尊の第二次天孫降臨の時、井堰をなす・・・
紀元前1,290,607年3月15日、梅の花の下に御饗(みあえ)を催された瓊々杵尊は、微笑んで申されました。
「以前日読みの宮にて、梅の花の下、三種の神宝を天照神より賜り、めでたく門出をした。
そしてまた、この白山にて梅の花の下ウケステ女の峰輿を得て、宴を張っている。これはきっと天意に叶った印である」
とおっしゃって、梅の小枝を折り頭にかざして、近江の国の高島に至りました。
その地の酒波(ささなみ)という場所に咲いていた桜の花も美しいとして、君はまたその小枝を折りかざしたのでした。
子守神の生まれた郷である高島の万木村(よろきむら)周辺を田にしようと、子守神の子、太田命と箕島命が井戸や運河を掘って、あたりに水を引きました。
【系図】素戔嗚尊-奇杵命(大己貴命)-奇彦命(えびす顔)-子守神
紀元前1,499,704年の第一次天孫降臨で、官職を辞す奇彦命・・
御機の十〔鹿島立ち釣鯛〕の紋の【6】奇彦命と万木の森を参考に推論・・
奇彦命は、国譲りから55,373年後の紀元前1,499,704年に奇玉火之明尊の第一次天孫降臨のとき大物主に任じられているが官職を辞し(20-9)、大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)に蟄居され、父と母の宮を祀られたらしい。大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)に蟄居していると、「瓊々杵尊を守れ」という勅を得て、三穂津姫を妻とし、万木の森(→与呂伎神社)を賜った。
「万木」滋賀県高島郡安曇川町青柳・西万木付近一帯に、以前は「万木の森」と称する広大な森が存在した。「東万木」とは現在の青柳町の旧名である。
高島市安曇川町青柳(旧称、万木の森)には与呂伎神社(よろぎ)が鎮座しており、祭神は子守神と勝手神である。
地元の人は与呂伎神社(よろぎ)を「コーモリさん」と呼び習わしていて、同社の地名を「古森」と称する。
このことは吉野山の子守宮を「コーモリさん」と呼び、同地に子守という地名が残ることと類似し、何らかの関係が存在することを示している。
なお、与呂伎神社(よろぎ)は、同地で最も古い神社として伝えられている。
この地は、『秀真伝』の記述から子守神(万木麿命)の誕生の地であると考えられる。
太田命は子守命の12男、箕島命は子守命の11男である。
子守神の子の名に因んでいるような青柳の太田神社と新旭町の太田神社、箕島神社とい名の神社があることが注目される。
ご祭神
太田神宇須賣命
本殿
青柳の太田神社の地図
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