瓊々杵尊の第二次天孫降臨【1】ここだけは紹介しておきたい!|瓊々杵尊

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大津シノ宮を探すキッカケになったのは・・

 九頭龍の痕跡を探りたくて平成21(2009)年5月3-6日にかけて、岐阜県、福井県、京都市を周る行程を組んでいた。九頭龍の発生には白山の椋杵尊になんらかの原因があるように思えていたので、岐阜県の白山中居神社(はくさんちゅうきょ)長滝白山神社(ながたきはくさん)、福井県の九頭龍湖周辺を周る予定でいた。
 さらに、北の津といわれている気比神宮周辺にも足を延ばそうと調べていた。
 気比神宮は、彦火々出見尊が兄から謀られて海宮に行くことになった海幸彦・山幸彦の舞台となった舞台であり、彦火々出見尊の御尊骸が納められた神社である。

 平成21(2009)年4月18日(土曜日)、寝苦しさのなかで目を覚ますと

「宮を探せ・・」
 という言葉を聞いたような気がした。
 平成21(2009)年4月19日(日曜日)には、より鮮明な形で聞こえてきた。
大津シノ宮を探せ・・」
 と。

 大津シノ宮とは・・

 紀元前1,290,607年(→年表)、瓊々杵尊は八洲めぐりの勅を得て、琵琶湖西岸の鵜川で猿田彦に会い、瑞穂の仮宮を築き、酒折の宮で木花咲耶姫に出会った。
 木花咲耶姫は、火明・火進・火遠(彦火々出見)の順で三つ子を産んだ。
 天忍穂耳尊が箱根で神上がられた。
 瓊々杵尊は、3年の喪祀りを済ませてから、比叡山を造営することになった。
 その後、瓊々杵尊の「深き思ひの あるにより」、瑞穂の仮宮を正式に宮として造営され、鵜川の昔の跡に鵜川宮を造営し、新たに大津シノ宮を造営された。

 この鵜川宮大津シノ宮が海幸彦・山幸彦という名前が誕生した場所である。

 瓊々杵尊の「深き思ひ」の内容は伺い知ることは出来ないが、今回の私の旅行の行程と私に聞こえてくる内容から考えると、九頭龍に関わりがあるのではないか、と思う。
 天忍穂耳尊の神上がられた箱根神社に九頭龍が祀られていることから類推して、神代史に重大な影響をもった琵琶湖周辺に九頭龍の痕跡がないほうが不思議なのだ。

 琵琶湖周辺で九頭龍伝承をもつのは、三井寺の金堂裏側の「三井の霊泉」である。

 「大津シノ宮」の時、この「三井の霊泉」は箱根神社や戸隠神社のように祀られていたのではないか?

 九頭龍のことはこちらで詳述

 三井の霊泉と九頭龍神

 金堂の近くには天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたという三井の霊泉があります。古来より閼伽水として金堂の弥勒さまにお供えされてきました。
 古記には、この泉に九頭一身の龍神が住んでおり、年に十日、夜丑の刻に姿を現わし、金の御器によって水花を金堂弥勒に供えるので、その日は泉のそばに参ると「罰あり、とがあり」といわれ、何人も近づくことが禁じられていたという話が伝わっています。

 上の記述は三井の霊泉と九頭龍神からの引用です。

九頭龍の実体とは・・

  〜平成20(2008)年12月29日(月曜日)の夜から12月31日(水曜日)にかけて記述 (詳しくはこちら)〜

 火の国の歓喜の結果、周辺に黒煙が生じる。いわゆる火の国の燃えカス、ススだ。

(※)この火の国 ( 参照 ) の燃えカス、ススがないと物質界は誕生しない。

 この黒煙の世界にも
 火の国の光と熱が届けられているのだが、熱は届いても光は届ききらなかったのだ。

 この黒煙の発生について永遠の楽園の住人は無知であった。

 そのため、永遠の楽園のなかに「黒煙を忌み嫌う心」が生じてしまった。
 光が行き届く世界においては、「黒煙を忌み嫌う心」は浄化しえたのだが、光が行き届かない黒煙の世界では浄化し切れなかったのだ。

 永遠の楽園のなかの「黒煙を忌み嫌う心」が黒煙の世界にも到達した。

 その結果、黒煙を慈しみ育もうとした「光の当たらない熱のベルゼブブ」は、「黒煙を忌み嫌う心」をも育ててしまったのだ。
「黒煙を忌み嫌う心」は黒煙発生源である火の国を嫌う九頭龍として現れてしまった。
 九頭龍の実体は「光の当たらない熱」(ベルゼブブ)の中で、「黒煙を忌み嫌う心」が火の国の燃えカス(物質界の源になる素子)を得て、物質的に実体化したものである。
 (※)「光の当たっている熱の部分」をアロンという。

 九頭龍が生まれたことによって、ベルゼブブは慈愛の座から転落してしまった。

 ベルゼブブは光と熱の関係を破壊しにかかり、
 九頭龍は、黒煙を生じさせる火の国を破壊しにかかった。
 火の国がなければ、黒煙は生じないし、光と熱も生じないからである。
 ベルゼブブが光と熱の関係を破壊した結果、光の天使と熱の天使アロンの中は引き裂かれ、光の天使は「希望」の座から転落し、熱の天使は「情熱」の座から転落してしまったのだった。
 遠い遠い天使の国の物語である。

 神代に九頭龍は持子という女性に転生させられた。

 神代に九頭龍は持子という女性に転生させられ、そして天照神との間に、ある男の子を生んだ。
 九頭龍発生の原因となった「黒煙を忌み嫌う心」を九頭龍・持子の子として表現したのだ。

(1)九頭龍・持子の子とは火の国の「黒煙を忌み嫌う心」の神格化である。

 九頭龍・持子の子には悔い改める機会が何度も与えられたのである。
 母・持子が天照神を亡き者にし、自分を皇位に就かせようとしたとき、子の立場として母・持子を諭すことのできる能力が与えられていたはずである。
 母・持子が天照神を亡き者にし、自分を皇位に就かせようとした責任は、母・持子にあるのであって自分は知らないことであったという立場をとったのではないか?
 八岐大蛇・早子の子の三女神が母・早子の罪を晴らすために日本各地を回ったのとは対照的である。

(2)九頭龍・持子の子は、生まれながらにして火の国を破壊しようという心がある。

 だから、九頭龍・持子の子には、火の国を破壊しようという心を放棄し、天照神に帰順する機会を何度も与えられたのだ。
 大国主命の国譲のとき真っ先に高天原から派遣されたのは、母・持子の九頭龍の罪を償えるだけの能力をもっていると認められていたからであった。
 九頭龍・持子の子の能力からすれば、大国主命の帰順は難しい課題ではなかったはずである。
 ところが、九頭龍・持子の子はここでも大国主命の甘い誘いに乗り、天照神の神命があるにも関わらず3年ものあいだ復命しなかった。
 「火の国」を破壊しようという本来克服すべき心を乗り越えようとしなかったのだ。

(3)大国主命の国譲りの後、九頭龍・持子の子に出雲統治が託された。

 出雲とは「出る雲」。
 火の国の歓喜の燃えカスが発生するところ、という意味かもしれない。
 つまり、
 九頭龍・持子の子の本来の出自に因縁を持つ場所で火の国を破壊するという心を改める最後の機会を与えられたのだろう。
 平成20(2008)年の関連する出来事

 ◆平成20(2008)年7月6日(日曜日)、サワケのホのミコトお出ましになられている。

 淡道之穂之三別島(あわじのほのさわけしま)に別名が置かれていなかったのは、「黒煙を忌み嫌う心」を出雲に呼び込むためではなかったのか?
 サワケのホのミコトがお出ましになられたということは、九頭龍・持子の子は出雲に留め置かれることになるのだろう。

 ◆平成20(2008)年11月9日(日曜日)9:00、金勝金神そなたのもとにお出ましじゃ・・

 火の国の歓喜の燃えカス、ススを掃除し再活用する必要があるということだ。
 「火の国」ではカス・ススと見えるが、この物質界にあっては「金(きん)」あるいは希少金属と表現されるのだ。
 科学技術の進歩には欠かせないものなのだ。

 ◆11月24日(月曜日)21:00、伊邪那美命お出ましになられる、あわせてさどのみことおでましになられる

 佐渡島(さとしま)に別名が置かれていなかったのは、九頭龍を能生白山神社から戸隠へと呼び込むためではなかったか?
 さどのみことがお出ましになられたということは、九頭龍は能生白山神社、関山神社、戸隠神社に留め置かれることになるのだろう。

 ◆平成20(2008)年12月26日(金曜日)、ゆずるひあめのさぎりのみことおでましになられる・・

 九頭龍の実体は「光の当たらない熱」(ベルゼブブ)の中で、「黒煙を忌み嫌う心」が火の国の燃えカス(物質界の源になる素子)を得て、物質的に実体化したものであった。
 九頭龍は持子として転生でき、「黒煙を忌み嫌う心」も九頭龍・持子の子として転生できた。
 九頭龍の前に、「黒煙を忌み嫌う心」を高龗神(たかおかみのかみ)として祀りかえていたからだ。
 高龗神(たかおかみのかみ)として祀り変えたおかげで「黒煙を忌み嫌う心」を九頭龍・持子の子として誕生することが出来たのだろう。
 今こうして神代の歴史を偲ぶと、高龗神(たかおかみのかみ)、九頭龍、持子の子の影響は極めて大きいことを知ることができる。
 神代ばかりのことではなく、今我々が生活している日々そのものが、高龗神(たかおかみのかみ)、九頭龍、持子の子の影響を直接受けているといって過言ではない。
 この世とは、高龗神(たかおかみのかみ)、九頭龍、持子の子に捉われた神々が、どういうことがおきていたのかを学ぶためにあるようなものだ。

 あなたに好き・嫌いがあると思う。

 「嫌いな心」が極度に固まり、物資力を持ったものが九頭龍のあらわれだ。

 ベルゼブブは「光の当たらない熱」で本来の使命は慈愛。

 火の国の燃えカス、ススを慈愛の熱で包み、再生させ物質化させるのがベルゼブブの使命であった。
 神霊界の歓喜の燃えカスは、ベルゼブブの熱に包まれることによって、物質の萌芽に育てられていったのだ。
 ベルゼブブが果たせなくなった慈愛を、金勝金神(きんかつかねのかみ)が受け持たれることになった。
 金勝金神(きんかつかねのかみ)とは便所に落とされた神である。
 「火の国」ではカス・ススと見えるが、この物質界にあっては「金(きん)」と表現されるらしい。

 戸隠(長野県)に九頭龍が祀られているのをみて・・

 戸隠(長野県)に九頭龍が祀られているのをみて、天岩戸の前に立つには「九頭龍」に真正面から向き合わなければならないと気付いた。

 では神奈川県の箱根・芦ノ湖にいる九頭龍は何かを語りかけているのか?

 「光の当たらない熱」(ベルゼブブ)が九頭龍を育てたのだから、九頭龍のそばに「光の当たらない熱」のベルゼブブがいるはずだ。
 箱根の大涌谷(神奈川県)は火山活動があることで知られている。
 光の当たらない熱、それは火山活動としても現れるのではないか?
 だとすると、ベルゼブブは大涌谷(神奈川県)にいる。
 大涌谷(神奈川県)とは「神山」の北側斜面であり南側より光に恵まれない。
 「神山」とは「あめゆずるひあめのさぎりのみこと、くにゆずるつきつちのさぎりのみこと」を祀る山であり、駒ケ岳は「あめのみなかぬし神」を祀るやまである。
 神山に登ってみた結果、「光の当たらない熱」(ベルゼブブ)は「あめゆずるひあめのさぎりのみこと、くにゆずるつきつちのさぎりのみこと」の時代に深く関わっていると感じた。
 箱根は神代の昔から「育む根(箱根)」であり「天下の険」だったのだろう。
 「育む」という点に「光の当たらない熱」の意味合いが込められているのかも知れない。
 そういう由縁があって、天忍穂耳尊は箱根の洞に入られたのだろう。

 次の時代は月の御代である

 火の国の燃えカスの集合体である黒煙に届く光は、成長した黒煙の素子を照らし、月と象徴される。
 光が届ききらなかった黒煙の隅々まで月を通して光は届けられるのである。

 ベルゼブブよ

 天の大神の御心が理解できるだろうか。
 時代のベールがひとつめくれるのである。

火の国のどの部分で九頭龍が発生したか・・

 瓊々杵尊は箱根の事情は知っておられただろう。  木花咲耶姫が三人の子を産むときの事情も考慮されたのだろう。
 三人の御子は火の中で誕生されたのだ。
 三人の御子は、火に状態に従って
 ・火明
 ・火進
 ・火遠
 といわれている。
 伊邪那美尊が神上がられた時、伊邪那岐尊がその原因を検証されたように、瓊々杵尊も何かを検証されようとされたのではないか?
 結果の立場から考察すると、それが九頭龍がどの段階で誕生し、どこにどういう風に潜むことになったのかの検証だったのではないか?
 天照大神とスサノオの誓約(うけい)の結果、大津シノ宮の対岸にある瑞穂宮の近くで5人の皇子が生まれている。この5人の皇子の中に九頭竜龍・持子の子がいる。
 大津シノ宮には九頭龍の痕跡がある。
 木花咲耶姫の3人の子の宮を鑑みると、炎の絶頂の時に黒煙が発生し、炎が消えかかるときに九頭龍が誕生した、といえるのではないか。
 瓊々杵尊は、火の国のどの地点で九頭龍が誕生したのか、その場所がどこなのかを特定させるために鵜川宮と大津シノ宮を設けたのではないか。

木花咲耶姫が生む3人の子

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四「コヱ国原見山の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P27-29 )
  時に天照神(あまてる)  
勅(みことのり) 「八洲(やしま)巡(めぐ)れ」と  
触(ふ)れ給(たま)ふ 時(とき)二十九鈴(ふそこすヾ) 大濡煮尊の御世から171万98年経た
五百(ゐも)の一枝(ひゑ) 三十八年(みそや)二月(きさらぎ) 2月1日
朔(ついたち)と 梅(うめ)の花見(はなみ)の 瓊々杵尊の八洲めぐりの勅の時、梅の花見をする。
御饗(みあえ)して 日読みの宮の  
門出(かどで)宣(のり)    
  = 中略 =  
三月(やよひ)望(もち) 御饗(みあえ)の梅(むめ)に 3月15日
君(きみ)笑(ゑ)みて 「梅(むめ)に三種(みくさ)の  
門出(かどいで)も 梅(むめ)に輿(こし)得(ゑ)て  
この御饗(みあえ) 天(あめ)の印(しるし)」と  
折りかざし 至(いた)る高島(たかしま)  
酒波(ささなみ)の 桜(さくら)も良しと 高島郡今津町酒波(近江国高島郡川上荘酒波)と関連するか?
折りかざし 熊野(くまの)万木(よろぎ) 高島市安曇川町青柳(旧称、万木の森)には与呂伎(よろぎ)神社が鎮座しており、祭神は子守神と勝手神である。 子守神(万木麿命)の誕生の地。
井川(いかわ)なす 音玉川(おとたまがわ)の 高島郡内に小田川が流れる
白砂(しらすな)に 昼寝(ひるね)して居(お)る  
衢神(ちまたかみ)    
  = 中略 =  
  「神(かみ)の御孫(みまご)の  
行幸(みゆき)なす 鵜川(うかわ)仮屋(かりや)に  
御饗(みあえ)して 相待(あひま)つ長田(ながた)  
猿田彦(さるたひこ)」   高島市鵜川という地名がある。
  = 中略 =  
  御孫(みまご)喜(よろこ)び  
卯(う)の花も またかざし行(ゆ)く 卯の花が散った場所は大津市園城寺町にある三尾神社のある辺りか?
赤尾神が卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方から出現したと伝えるが「卯の花」と関連があるかもしれない。三尾神社では、兔が神の使いである。
  = 中略 =  
仮宮(かりみや)お 瑞穂宮(みづほ)と名付(なづ)く 野洲郡野洲町三上の三上神社(祭神は天之御影命)か。
  = 中略 =  
酒折(さかおり)の 宮(みや)に入(い)ります 山梨県の甲府と石和の中間にある
預(あづか)りの 大山祗命(おおやますみ)が  
御饗(みあえ)なす 御膳(みかしは)捧(ささ)ぐ  
葦津姫(あしつひめ) 一夜(ひとよ)召(め)されて  
契(ちぎ)り込(こ)む    
  = 中略 =  
松坂(まつざか)に 関止(せきと)められて 三重県の松坂市
白子宮(しらこや)に 帰(かえ)り誓(ちか)って 三重県鈴鹿市に白子という地名がある
「妬(ねた)まれの わが恥(はじ)滌(すす)げ  
この桜(さくら) 昔(むかし)曾祖父(ひをゝぢ)  
桜内(さくら)大人(うし) この花(はな)捧(さゝ)ぐ  
大御神(ををんかみ) 大内(おうち)に植(う)えて  
伊勢の道 成(な)る離(はな)るゝお  
計(はか)ります 桜(さくら)心(こころ)あらば  
わが孕(はら)み 仇(あだ)種(たね)ならば  
花(はな)萎(しぼ)め 正(まさ)種(たね)ならば  
生むときに 咲け」と誓いて  
こゝに植(う)ゑ 里に帰(かえ)ます  
十二月(そふ)満(み)ちて 六月(みなつき)初日  
三つ子生む その胞衣(ゑな)の紋(あや)  
梅(うめ)桜(さくら) 卯(う)花(ばな)と変(かわ)り  
怪(あや)しめば 君(きみ)に告(つ)ぐれど  
返事(かえ)なくて 姫(ひめ)は裾野(すその)に  
無戸室(うつむろ)し 巡(めぐ)りに柴(しば)の  
垣(かき)なして 母子(はゝこ)誓(ちか)ひて  
中にあり    
  = 中略 =  
  白子の桜  
生まれ日に 咲(さ)きて絶(た)えねば  
天御孫(あめみまご) 鴨船(かもふね)早(はや)く  
飛ばさせて 興津(おきつ)に着けば  
雉子(きじ)飛(と)びて 酒折(さかおり)に告(つ)ぐ  
姫(ひめ)恨(うら)み 衾(ふすま)被(かぶ)りて  
答(こた)え無(な)し 返事(かえこと)すれば  
君しばし 思(おも)ひて和歌(わか)の  
歌身染め    
  = 中略 =  
  「諸神(もろかみ)聞(き)けよ  
われ先に 花おかざして  
駆(か)け通(とほ)る これ胞衣(ゑな)の紋(あや)」  
諱(いみな)なす 初(はつ)に出る名は  
火之明(ほのあかり) 諱(いみな)梅仁(むめひと)  
次の子は 名も火進(ほのすゝみ)  
桜木(さくらぎ)ぞ 末(すえ)は名(な)も彦(ひこ)  
火々出見(ほおでみ)の 諱(いみな)卯津杵(うつきね)  
また姫(ひめ)は 子お生(う)む日(ひ)より  
花(はな)絶(た)えず ゆえに木花(このはな)  
咲耶姫(さくやひめ)」    
  = 中略 =  
箱根神(はこねかみ) 三年(みとせ)祭(まつ)りて  
瀛壷(おきつぼ)の 峰(みね)より眺(なが)め  
勅(みことのり)   比叡山の造成の勅。

山幸彦(彦火々出見尊)が大津シノ宮を賜る

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十五「彦命鉤お得るの紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P27-29 )
三十二(みそふ)鈴(すヾ) 九百枝(こもゑ)二十三穂(ふそみほ) 大濡煮尊の御世から191万4,023年。
四月(うつき)初日(はつひ) 別雷(わけいかつち)の 瓊々杵尊
天君(あまきみ)は 深き思ひの  
あるにより 大島命(おゝしま)おして  
淡海(あわうみ)の 瑞穂(みづほ)の宮(みや)お 野洲郡野洲町三上の三上神社(祭神は天之御影命)か。
造(つく)らしむ 成(な)れば日(ひ)お見て  
遷(うつ)らんと 先に垂乳男神(たらちを) 瓊々杵尊の父・天之忍穂耳尊のこと
日(ひ)足(た)るとき 箱根(はこね)の洞(ほら)に 箱根神社
入(い)りますお 母(はは)千々姫(ちゝひめ)は  
事(こと)ありて 伊勢(いせ)に至(いた)りて 伊勢伊雑宮
大御神(をんかみ)に 朝夕(あさゆう)仕(つか)え  
祭(まつ)らしむ 十万年(そよろとし)経(へ)て  
今(いま)故(かれ)に 箱根(はこね)に詣(もふ)で  
幣(ぬさ)捧(ささ)げ それより伊勢(いせ)に  
行幸(みゆき)なる 大御神(ををかみ)および  
千々姫(ちゝひめ)お 拝(おが)みて淡海(あわ)の  
瑞穂国(みづほくに) 宮遷(みやうつ)しなる  
梅仁尊は 原見(はら)に留(とど)まり 第一子の火之明(ほのあかり)
政治(まつりごと) 天之児屋根命(こやね)預(あずか)り  
大物主命(ものぬし)は 伴(とも)なすゆえに  
溝咋命(みぞくい)お 添物主(そえものぬし)と  
原見(はら)の守(もり) 新治(にはり)に居(い)ます  
酢芹宮(すせりみや) 昔(むかし)の跡(あと)に 第二子の火進尊
今(いま)造(つく)る 鵜川(うかわ)の宮(みや)に 高島市鵜川付近と考えられる
遷(うつ)ります 二荒山(ふたあれ)裾(すそ)の  
卯津宮(うつみや)は 大津シノ宮 第三子の彦火々出見尊。三尾神社から長等山にかけての一帯が大津シノ宮の推定地。
今(いま)造(つく)り これ賜(たま)わりて  
遷(うつ)ります 時に諱(いみな)の 彦火々出見尊の諱は、鵜川宮(卯川宮)付近に生えていた卯の花にちなみ卯津宮とつけられた。
ゆえあれば 鵜川宮(うかわ)を請(こ)えど  
許(ゆる)されず 常(つね)に狩(かり)して  
楽(たの)しめば 山(やま)の幸彦(さちひこ)  
また酢芹宮(すせり) 釣(つり)楽(たの)しめば  
幸彦(さちひこ)と 君は親(みづか)ら  
御狩(みか)りなす 西中国の  
山表(やまおもて)    
  = 中略 =  
三万(みよろ)経(へ)る 時(とき)に筑紫(つくし)の 現在の福岡県
治(をさ)まらで 御子(みこ)御下(みくだ)りお  
請(こ)ふゆえに 君(きみ)聞(き)こし召(め)し  
「シノ宮お 筑紫治君(つくしをきみ)」と  
勅(みことのり) 卯津杵尊(うつきね)原見(はら)  
宮(みや)に行(ゆ)き 暇(いとま)お乞(こ)えば  
梅仁尊(うめひと)も ともに上(のぼ)りて  
瑞穂宮(みづほ)なる 天君(あまきみ)拝(おが)む  
時(とき)に君(きみ) 「筑紫(つくし)は糧(かて)の  
足(た)らざるか てれば行(ゆ)き見(み)て  
田(た)お増(ま)さん 故(かれ)梅仁(むめひと)お  
治君(をきみ)とす 天児屋根(あまのこやね)大物主(ものぬし) 火明・梅仁が瑞穂宮の治君に任命された。
諸(もろ)ともに ここに留(とど)まり  
政(まつり)聞(き)け 卯津杵(うつきね)酢芹(すせり)  
北の津に 行(い)きて治(おさ)めよ 福井県敦賀
伊奢沙別宮(いささわけ) あれば睦(むつ)めよ」 気比神宮のこと。
天君(あまきみ)は 西宮(にしのみや) 兵庫県西宮市
亀船(かめ)に乗り 筑紫うましの  
鵜戸(うど)に着き 筑紫あまねく 宮崎県日南市大字鵜戸。
巡(めぐり)り狩(か)り    
  = 中略 =  
身(み)お尽(つ)くし 三年(みとせ)に指絵(さしゑ)  
ほゞなりて 作(つく)り行(おこな)い  
治(をさ)めしむ のちに瑞穂宮(みづほ)に  
帰(かえ)ませば 梅仁治君(むめひとおきみ)  
磯輪上(しわがみ)の 秀真(ほづま)の宮(みや)に  
帰(かえ)りますかな    
兄弟(ゑと)の宮(みや) 北津にありて  
試(こころ)みに 海幸彦(うみさちひこ)が  
幸(さち)換(か)えん 山幸彦(やまさちひこ)が  
諾(うなづ)きて 兄(ゑ)は弓矢(ゆみや)取(と)り  
山に狩る 弟(と)は海(うみ)に入(い)り  
釣(つり)おなす ともに空しく  
幸(さち)あらず 兄(ゑ)は弓矢(ゆみや)換(か)え  
鉤(ち)お求(もと)む 弟(と)は鉤(ち)お取(と)られ  
由(よし)無くて 新鉤(にいち)求(もと)めば  
兄(ゑ)は受(う)けず    

大津シノ宮の周辺図

大津シノ宮の周辺図

大津市から京都市