私の鶴の物語|「月の光」

私の鶴の物語

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私が5歳の時の思い出です(この部分だけ平成18年3月26日に追記)

 私が5歳の時、仲間といっしょに「カゴメカゴメ」を歌って遊んでいた。

    かごめかごめ
    かごのなかのとりは
    いついつでやる
    よあけのばんに
    つるとかめがすべった
    うしろのしょうめんだあれ

 突然、子供の私にひらめくものがあって、みんなに叫んでいた。

「この歌変だよ、鶴と亀は滑りっこないよ。滑りそうになったら鶴は飛びたてるんだから始めからおかしいよ。鶴はお空から亀がどこにいるのか探しているんだよ。そして、鶴は亀を探し出して出会うんだよ。ンッ!絶対そうだ。」

 それ以来、ここの部分を

  つるとかめはであぁう

 と私だけ歌うようになっていた。ズ〜ッと、このように「ある時」まで歌い続けていました。

 この日を境にして私にとって「鶴」は「亀」に出会うべき存在になったのです。

 「よあけ」の「よ」は数霊の「4」。

 しかし、分かる人は少なさそうだ。
 2013年頃になれば、次の時代を荷負う世代の台頭があり、こういう話を求めてくる人も多くなるだろう。

 それまでは弘法大師空海のように

        後ろの照明たれ

 「鶴」の物語はどこかでこういう風に書いておきたかった。

 これで胸のひっかかりがとれました。

平成7(1995)年10月6日(金曜日)山形へ帰る夜の車中で頭の中で大合唱・・

   かごめ(六光星)かごめ(六光星)
   加護(過誤)のなかの十理は
   五五でやる
   四開けの番に
   鶴と亀が術得た
   羽代の主よ生めん朶あれ

かごめかごめ

 カゴメ紋は六光星のこと。
 六光星とは、火の国と水の国の調和が取れている状態を象徴する。
 → 火の国の説明

加護のなかの十理は

 「かご」とは、過誤であり、加護である。
 「とり」とは、十理であり、天の律法のことだ。

いついつでやる

 出るときは定められていて、五五に「でやる」

四開けの番に

 「よあけ」の「よ」は数霊の「四」
 「よあけ」の「あけ」は「開け」
 「ばん」は「番」

鶴と亀が術得た

 鶴は天を象徴し、亀は地を象徴する。
 「すべった」は「術得た(すべえた)」。

羽代の主よ生めん朶あれ

 「うしろ」は「羽代(うしろ)」。
 「しょうめん」は「主よ生めん」。
 「だ」は「朶(だ)」で枝のこと。