小石豊 |「月の光」

12部族の回復預言と預言の書

 創世記(第17章7節、第49章)・申命記(第33章)・サムエル記(上)サムエル記(下)
列王記T(第12章)・列王記U(第17章)・ イザヤ書エレミヤ書エゼキエル書
ホセア書アモス書ゼカリア書
<選民意識>出エジプト
<預言>ダニエル書ヨハネの黙示録
<参考> 詩篇
<研究> 小石豊

スコットランド人のN・マックレオド

 スコットランド人のN・マックレオド 1875年長崎 。
『日本古代史の縮図』
 日本人の貧しい食生活と伝染病、病気と短命、混乱と権力闘争の連続そのものが、呪われている証拠だと彼は喝破したのです。
 そして、人々が神道の拝殿で礼拝し、神官の雅楽に合わせて舞っている姿は、かつてイスラエルがバールの神(男の偶像で、イスラエルがカナンに定住する前から先住民が農耕作業のたびに畑の横に安置して祝福を祈願した)の前で礼拝したときと同じようにみえたと述べていました。
 ◆ 詩篇第81章1-15節
〔81:01〕【指揮者によって。ギティトに合わせて。アサフの詩。】
〔81:02〕わたしたちの力の神に向かって喜び歌い
    ヤコブの神に向かって喜びの叫びをあげよ。
〔81:03〕ほめ歌を高くうたい、太鼓を打ち鳴らし
    琴と竪琴を美しく奏でよ。
〔81:04〕角笛を吹き鳴らせ
    新月、満月、わたしたちの祭りの日に。
〔81:05〕これはイスラエルに対する掟
    ヤコブの神が命じられたこと。
〔81:06〕エジプトの地を攻められたとき
    ヨセフに授けられた定め
    わたしは思いがけない言葉を聞くことになった。
〔81:07〕「わたしが、彼の肩の重荷を除き
    籠を手から取り去る。
〔81:08〕わたしは苦難の中から呼び求めるあなたを救い
    雷鳴に隠れてあなたに答え
    メリバの水のほとりであなたを試した。〔セラ
〔81:09〕わたしの民よ、聞け、あなたに定めを授ける。
    イスラエルよ、わたしに聞き従え。
〔81:10〕あなたの中に異国の神があってはならない。
    あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
〔81:11〕わたしが、あなたの神、主。
    あなたをエジプトの地から導き上った神。
    口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。
〔81:12〕しかし、わたしの民はわたしの声を聞かず
    イスラエルはわたしを求めなかった。
〔81:13〕わたしは頑な心の彼らを突き放し
    思いのままに歩かせた。
〔81:14〕わたしの民がわたしに聞き従い
    イスラエルがわたしの道に歩む者であったなら
〔81:15〕わたしはたちどころに彼らの敵を屈服させ
    彼らを苦しめる者の上に手を返すであろうに。」
 上の詩篇が言っているように、日本人はまさに「かたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんばかりのままに歩いている」ではありませんか。
 しかし、反面、マックレオドは、特有の文化・秩序・美学を持つ、この東洋の未開国の奥深さに恐れを感じ取り、これこそ失われた古代イスラエル人に違いないことを確信しました。そして、彼の確信は当時のヨーロッパの人々から見ると奇抜な発想に過ぎませんでしたが、徐々にその指摘が現実化していきました。

『古代ユダヤの大預言』P72(小石豊、日本文芸社)

『日本・ユダヤ連合超大国』P112(小石豊、光文社)

小谷部全一郎『日本及日本国民之起源』(厚生閣)

 小谷部全一郎『日本及日本国民之起源』 。
 風俗習慣や神道に残る古代イスラエル文化をたくさん紹介している。
 日本における同祖論は、小谷部全一郎の『日本及日本国民之起源』から始まった。

『古代ユダヤの大預言』P177(小石豊、日本文芸社)

『日本・ユダヤ連合超大国』P131(小石豊、光文社)

中田重治 〜 小石豊氏が取り上げる参考文献

 中田重治は昭和7年(1932年)、「聖書より見たる日本」と題して、6回の連続講演を行いましたが、内外に非常な反響を呼び起こしました。その頃、日本は軍国主義に汚染されていった時期で、中田の語る「日本特殊論」は世相に反映するものとして非常に警戒されたからです。  彼は、「ヨハネの黙示録」に出てくる「一人の天の使い、生ける神の印を持ちて東より上り来るを見たり」(文語訳第7章1節)の東は「日出ずる所」であり、「日本」であるといいました。そして、「イザヤ書」第41章から「天佑を受けし日本」と題して日本が神の摂理のなかにある民族であることを強調したのです。 「日のいずる所」という部分をすべて日本と解釈して、聖書のなかからその言葉を次々と引用しました。

「日のいずる所とは、日本を指していると私は信じるが、イザヤは今より2700年も前、まだ日本などは形をなしていなかった時から、聖霊によってこのことを預言したのである。日の出るところとは、ヘブル語でミズラホ(豊葦原瑞穂国)で、東方日いずる国において、実際神の栄光を表していたもうのである」 「たれか東より人を起ししや。われは正しきをもてこれをわが足下に召し、その前にもろもろの国を服せしめ、またこれにもろもろの王を治めしめ、彼らの剣をちりのごとく、彼らの弓を吹きさらるるごとくならしむ」(イザヤ書文語訳第41章2節) 「この東より起こる援助者は、いったいいかなる者かといえば、第一にイスラエル人民のために祈る大使命を持っているものであり、第二に、にせキリストに加わって世界の平和を破る者を征服する役目を持つ者である。これが日いずる国より起こるというのであるから、まったく驚くべき預言である」

 彼は、自分の論旨が聞く者たちに理解されなくぃことを知っていました。また、その解釈が、彼の生きていた時代に影響され、読み込みをしていると、聞く人々に誤解されてしまうことも承知していました。

 小谷部全一郎『日本及日本国民之起源』にも影響を受けている。」

『古代ユダヤの大預言』P94(小石豊、日本文芸社)

『日本・ユダヤ連合超大国』P134(小石豊、光文社)

S・M・ランガ−(1908年発行) 〜 10部族の調査

『イスラエル十部族に関する謎と解決』(1908年発行)

 日本民族は、彼らがヨーロッパの文化を吸収するようになった50年前までは、世界で知られざる存在でした。長い間閉ざされていたため、ヨーロッパ文化の欠如が独特の雰囲気、文化を生み出していました。
 1894年には、偉大なる中国との戦争(日清戦争)で、計り知ることのできない大いなる成果を収めたのです。これを見た、多くのユダヤ人の、夢見る人々(理想主義者)は、彼らの信念『日本人は十部族』という説を確信するに至ったのです。その理由は、数多くの『侍』という集団が、伝統的に言い伝えを守ってきたこと、そのなかに先祖たちが西アジア地方から移動してきたこと、しかもはるか遠くの国から決断して旅してきたこと、その旅程が1年半かかったことなどが記されていることによります。

『古代ユダヤの大預言』P61(小石豊、日本文芸社)

タシマ教授 〜 秦氏の研究

 秦氏の一族が朝鮮を経由して日本に到着したのは、およそ紀元前200年頃と推定されています。  総勢12,000名に及ぶ強力な人々が、絹織物の高度で緻密な技術を携えてやって来たのです。  タシマ教授によれば、当時の日本人はこの古代イスラエル人について知っていたといいます。  京都の太秦に行きますと「蚕の社」があり、その泉の湧き出し口のなかに、めずらしい「三柱鳥居」が建っています。

 普通、鳥居は二本柱ですが、ここの鳥居は三本柱で、どうやらキリスト教の教理である「三位一体」を表明しているらしいのです。「父と子と聖霊」の三位一体の信仰告白を一つの形として表していると思われます。

『古代ユダヤの大預言』P64(小石豊、日本文芸社)

R・アブラハム・コロジシー氏 〜 天皇はガド族

 R・アブラハム・コロジシー氏 。
 天皇はガド族と主張。

 その他の研究者は、日本人はマナセ族、といっています。

『古代ユダヤの大預言』P66(小石豊、日本文芸社)

ヨゼフ・アイデルバーグ氏と川守田英二氏

 ヨゼフ・アイデルバーグ氏 。
『日本人とイスラエルの失われた十部族』
 ヘブル語と日本語のなかには3000語にのぼる同じ発音と意味を持っている同義語があり、古代日本の文字は古代ヘブル語の形に非常によく似ていると述べている。

   川守田英二氏。
 日本古来の民謡の意味について、日本人に理解されなかったものはヘブル語が起源となっていることを証明し、その民謡の数は、50曲を超えました。

『古代ユダヤの大預言』P66(小石豊、日本文芸社)

ヨゼフ・アイデルバーグ氏『大和民族はユダヤ人だった』1984年

 ヨゼフ・アイデルバーグ氏(1916-1985年) 。
『大和民族はユダヤ人だった』1984年
 言語学の立場から、十部族は日本に来て、ダビデ王朝の誰かを王位につけたのではないか、と推測している。
 ヘブライ文字とカタカナ、ひらがなの比較をいている。
 マックレオドに始まって、ユダヤ百科事典や内外のユダヤ人が、日本人に十部族の可能性を見つめている事実を列挙したが、それでも、ユダヤ人自身がまだ十分説得力ある資料は整っていないと告白している。
 神武天皇の称号「かむ・やまと・いわれ・びと・すめら・みこと」を意訳すると「サマリヤの皇帝、神、ヘブライ民族の高尚な創設者」で、十部族がもともとサマリヤを首都としていたことと符合するのではないかという。
 日本の数え歌「ひィ・ふゥ・みィ・よゥ・いつ」がイスラエルでは「ハイアファ・ミョッツア・マナーネ・ヤーヘーナ・タウオ」で、その意味は「女性を出すのにどんな言葉がよいのか」となり、まさに天之岩戸で天照大神を引き出すのにふさわしい歌となっている。

『日本・ユダヤ連合超大国』P120-126(小石豊、光文社)

1985年のラビ・アビハイル氏の調査

 1985年のラビ・アビハイル氏の調査。
(1)両親を敬う
(2)神礼拝
(3)神輿
(4)へブル文字の石
(5)イサラ井
(6)神主の服装
(7)月経の汚れ
(8)聖さよ汚れ
(9)暦
(10)仮庵
(11)ヒラクテリー
(12)血による復讐
(※)「草なぎの剣」にヘブル語で「神よ、われらを救いたまえ」と書かれている??」

『古代ユダヤの大預言』P68-71(小石豊、日本文芸社)

山本七平氏 『日本人とは何か?』(PHP研究所)

 山本七平氏 『日本人とは何か?』(PHP研究所)
 紀元前300年ごろ、・・・

『古代ユダヤの大預言』P77(小石豊、日本文芸社)

 日本列島への新来者については倭人渡来説や騎馬民族渡来説、あるいは他に諸説がありますが、非常に優れた文化と宗教を背景とした戦闘的な人々が渡来し、ついにはその人たちによって今日の国家が成立したという点では、ほとんどの歴史家や考古学者の間で一致しています。

久保有政氏 『古代日本にイスラエル人がやってきた』(レムナント出版)

 久保有政氏 『古代日本にイスラエル人がやってきた』

『古代ユダヤの大預言』P116(小石豊、日本文芸社)

浅見定雄教授 『聖書と日本人』(晩?社)

 浅見定雄教授 『聖書と日本人』
第一に、象徴天皇制
第二点、天皇が象徴するのは日本であって、統合される対象には日本国民以外誰一人入ってはいけない。

『古代ユダヤの大預言』P116(小石豊、日本文芸社)

山蔭基央『日本神道の秘儀』(マネジメント社)

 山蔭基央『日本神道の秘儀』
 無教祖、無教義、無戒律、無偶像。

『古代ユダヤの大預言』P170(小石豊、日本文芸社)

淵江淳一『日本の秘儀』(ライフネットワーク企画)

 淵江淳一『日本の秘儀』
 大嘗祭の歴史的意義とイサク燔祭。

『古代ユダヤの大預言』P176(小石豊、日本文芸社)

『神道とイスラエル古代思想とキリスト道』(1989)
 アブラハムが神から「この地を与える」と約束されたことと
 天孫降臨神話の「豊葦原瑞穂の国はこれわが子孫の君たるべき地なり」といったことの比較をしている。

『日本・ユダヤ連合超大国』P137(小石豊、光文社)

欧米の研究者、アンドレ・シュラキ教授、ベン・アミ・シロニー教授

 世界的に著名なフランスの聖書学者アンドレ・シュラキ教授、1989年に伊勢神宮を参拝。

 ヘブライ大学のベン・アミ・シロニー教授、
  『天皇陛下の経済学』(光文社)
  『誤訳される日本』(光文社)
  『ミレニアムからの警告』(光文社)
  『ユダヤ人と日本人』(日本公法)
   〜天皇への敬慕心に貫かれている。

『古代ユダヤの大預言』P181、185(小石豊、日本文芸社)

ダビデの直系 サムエル記

 ユダヤ人には、
「ユダの直系が日本に来て天皇家を形成し、ダビデの血筋を保存しているかもしれない」  という願望が垣間見えてきます。
 紀元前1000年頃、神はダビデにたいして、次のように約束しました。
 ◆ サムエル記 第2 第7章16節
 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまで堅く立つ。
 その後、ダビデ王朝はゼデキヤ王がバビロンに捕囚された紀元前587年まで続きましたが、それ以後まったく途絶えたまま今日に至ったのです。そのゼデキヤの子孫の情報も途絶えてしまいました。

 ユダヤ人は
「ダビデの血筋は神のみ知っておられる方法で、地上のどこかの民族か個人に引き継がれているに違いない」
 と考えているからです。
 ですから、120年前、日本が世界の檜舞台に飛びだしたころから、ユダヤ人はこの国の神秘な王権、「万世一系の天皇」という不思議な存在に注目していたのでした。
 しかも、この国は、ユダヤ人のバビロン捕囚後ほどなくアジアの極東にある列島に始まったわけですから、時代的にもぴったりです。

 私は失われたイスラエル10部族が日本に来た可能性を信じています。

 しかし、一部のユダヤ人は、南朝ユダ2部族(ユダ・ベンヤミン、数えてはならないレビ族)で、東ユダヤに残された者の子孫が日本の天皇家を形成したと考えています。

『古代ユダヤの大預言』P187(小石豊、日本文芸社)

キリスト教徒によるユダヤ人の迫害

 哀歌(エレミア)

〔04:14〕彼らは血に汚れ
    目は見えず、街をさまよう。
    その衣に触れることはだれにも許されない。
〔04:15〕「去れ、汚れた者よ」と人々は叫ぶ。
    「去れ、去れ、何にも触れるな」と。
    「こうしてさまよい歩け」と国々は言う。
    「再びここに住むことはならない」と。
〔04:16〕主は御顔を背け
    再び目を留めてはくださらない。
    祭司らは見捨てられ 長老らは顧みられない。
〔04:17〕今なお、わたしたちの目は
    援軍を求めていたずらに疲れ
   救ってはくれない他国をなお見張って待つ。
〔04:18〕町の広場を歩こうとしても
   一歩一歩をうかがうものがある。
   終りの時が近づき、わたしたちの日は満ちる。
   まさに、終りの時が来たのだ。
〔04:19〕わたしたちに追い迫る者は
   空を飛ぶ鷲よりも速く
   山々にわたしたちを追い回し
   荒れ野に待ち伏せる。
〔04:20〕主の油注がれた者、
   わたしたちの命の息吹
   その人が彼らの罠に捕えられた。
   異国民の中にあるときも、その人の陰で
   生き抜こうと頼みにした、その人が。
〔04:21〕娘エドムよ、喜び祝うがよい
   ウツの地に住む女よ。お前にもこの杯は廻って来るのだ。
   そのときは、酔いしれて裸になるがよい。
〔04:22〕おとめシオンよ、悪事の赦される時が来る。
   再び捕囚となることはない。
   娘エドムよ、罪の罰せられる時が来る。
   お前の罪はことごとくあばかれる。
 それにしても離散が現在のイスラエル建国まで2000数百年も続くとは、いったいだれが予測しただろうか。彼らはどこにいても忌み嫌われ、迫害と虐殺と排斥におののく日々であった。  前7-6世紀のエレミヤは上のように預言している。
 なんとユダヤ人の離散はここでも神によって仕向けられていたのだ。
 パレスチナにユダヤ人国家をつくろうというシオニズムが展開したのは、1890年代のことである。1894年、ユダヤ系フランス人ドレヒュスがドイツのスパイ容疑で検挙されたのが、このシオニズムの契機となった。リーダーはテオドール・ヘルツルで、1897年、スイスのバーゼルにシオニスト機構が設立された。

『日本・ユダヤ連合超大国』P65(小石豊、光文社)

マーヴィン・トケイヤー『ユダヤと日本・謎の古代史』

 マーヴィン・トケイヤー 1975年 〜 マックレオドの研究から100年
『ユダヤと日本・謎の古代史』
 この本はユダヤ人が日本語で十部族について論じた最初の書物として、高く評価され、ロングセラーとして今なお幅広く愛読されている。
 民俗学の立場からの研究。
 一つの権威になっている。

『日本・ユダヤ連合超大国』P123(小石豊、光文社)

サミュエル・グリンバーグ氏

 サミュエル・グリンバーグ氏
 日本の古代の彫刻。
 八咫の鏡の神聖視。

『日本・ユダヤ連合超大国』P124(小石豊、光文社)

宮沢正典氏『日本におけるユダヤ・イスラエル論議文献目録』1990年

 宮沢正典氏
『日本におけるユダヤ・イスラエル論議文献目録』1990年
・明治末期の佐伯芳郎の『太秦を論ずる』以降多彩な同祖論がある。
・イスラエルの部族のなにがしが渡来したとする説が多数を占める。
・日本の遠い先祖からユダヤ人が分派した、という説。
・キリストは伝導以前に来日し、日本で亡くなっているという説。
・ある地方で歌われている民謡がヘブライ語であるという説。

『日本・ユダヤ連合超大国』P127(小石豊、光文社)

日本人は間違いなく十部族の子孫

 日本人は目下のところ、失われた十部族とは認められていないものの、なぜかユダヤ人の血は、極東の民族に向かって騒ぐのだという。
 なるほど、前述のアミシャーブが調査の対象としている人々も、かつての失われた十部族の子孫であろう。ミャンマーのマナセは、古代イスラエルのマナセであるだろう。しかし、それらが本来の十部族の本流であるとは断言できない。移動の途中で別れ別れになったなかの小集団にすぎないということもありうる。
 本流はほかにある。これこそが、ユダヤ人が信頼できる民族なのだ。ただユダヤ人にとって問題であるのは、この人たちが唯一神をもっているか否かである。ユダヤ教徒はヤハウェ神のみを信じている。
 しかし、ユダヤ人の願いは理想に過ぎるのかもしれない。もともと失われた十部族は、偶像崇拝、とくに丘の上や木の下に、石の柱や女神アシェラ像を立てるなどして、神に見放された民族だった。彼らの宗教性は、ヤハウェ神信仰としてみるともともと、曖昧で、はっきりいえばいいかげんであった可能性が高い。ならば、その子孫が唯一神を持たなくともいっこうに不自然ではない。
 日本人の多くは、宗教について曖昧性をもっている。仏教のお寺の檀家であってもお正月には神社に詣でて、クリスマスはクリスマスなのだ。このことが、信仰がしばしばゆらいで神の怒りを買った十部族の子孫らしいといえなくもない。
 ・・・・・・・・
 イスラエル滞在中のこと・・・・・・。私の持論をかいつまんで述べたところ「私やシロニー教授は南ユダのレビ族ですが、あなたたち日本人は間違いなく北(イスラエル王国)の十部族の子孫でしょう」とハッキリうなずかれた。
 私はユダヤ人の本音を聞いた思いがした。政府高官として日本の世界的な地位、歴史的経緯を十分理解しておられるシャハン博士が、終末の時代に出現してくる自分たちの兄弟、イスラエルの「失われた十部族」は、日本以外にありえないことをはっきり語ってくれたのである。それは期待以上の確信そのものであった。

『日本・ユダヤ連合超大国』P43(小石豊、光文社)

 出席者の一人、ラビ・アシュケナジーが面白いことを話してくれた。
「ヘブライ語のアルファベットはアーレフ、ギーメルと始まって、最後の2文字はシーン、タウだ。このシーンとタウが日本の神道となった。今の日本人にはかつてのイスラエル十部族と同じように唯一神を信じない人が多いが、最後には不思議な御手によって信じるときがくる。なぜならシーンとタウは最後だからだ」
 ユダヤ教の儀式と神道の儀式には、のちに見るように相似点が多い。だから、ラビ・アシュケナジーの話をまったく無視することはできないのだ。
 ところで、「失われた十部族」調査機関のアミシャーブは、失われた十部族がユダヤ人として回復するためには、当然真正なるユダヤ教に改宗していなければいけない、としている。つまり、十部族の子孫が立証されても、それでは不十分だというのである。

『日本・ユダヤ連合超大国』P46(小石豊、光文社)

ラビ・アビハイル氏が語るミドラッシュ(タルムード)

 ラビ・アビハイルにかぎらず、日本人こそ失われた十部族となかば認めながらも、もう一歩確信できないでいるユダヤ人は多い。それはユダヤ教の観点に立てば、日本人はもっとも遠い民族に思われるからである。日本には、ユダヤ教の律法にあたる教典がない。日本人自身、十部族意識もない。
 真の神とされている唯一神ヤハウェを信じそうにない民族に対して、どのように対処すべきか、彼らユダヤ人にはまだ回答はでていない。
「ユダヤ教への改宗なしに十部族の回復なし」という宗教的理念が厳然としてあって、ユダヤ人はそこから離れることが出来ないでいる。
 ・・・・・・・・・・・
 ラビ・アビハイル氏はタルムードの一つ「ミドラッシュ」で、ユダとベンヤミン、すなわち南のユダ王国の2部族が、メシア来臨の前に十部族を連れ戻すと預言されていると語った。じつはこのことを明らかにするのがアミシャーブの最終目標だという。

『日本・ユダヤ連合超大国』P47(小石豊、光文社)

ユダヤ人は日本人の十部族である可能性を評価しても

 ユダヤ人は、「失われた十部族」が回復するときは、ユダヤ教にもどってくると考えている。
 ユダヤ人は日本人の十部族である可能性を評価しても、なお、それを表明しえないのは日本人の信じている宗教にある。彼らにとって困ったことに、日本人は複数の神々を認めている。八百万である。偶像崇拝もある。菅原道真のように人間も神になる。宗教的観点に立つと、十部族と日本人の接点はまりに乏しいし、日本人がすんなりとユダヤ教に改宗する可能性は少ない。
 しかし、私はこう主張したい。十部族がイスラエルの地を追われたのは、直接にはアッシリア軍によるが、じつは、十部族が偶像を愛し、真のヤハウェへの霊的節操を失ったからだ。であるから、神は十部族をいったん見放されたのだ。そこで、こう考えられもしよう。十部族の霊的本質が変化していないとすれば、今なお偶像を信じているほうが自然だし、納得できるのではないか。
 日本人が真に十部族の子孫として認められるために、いずれ神の御手が働くに違いない。必ず、解決を見せてくれる時が来るであろう。日本民族がいっせいに改宗する可能性はあるのだ。

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 まず6世紀のころ、外来宗教として仏教が伝来すると、・・

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 約140年前、アメリカ人ペリーが黒船を率いて開国を迫ると、・・・

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 ところが、第二次世界大戦で敗戦すると、・・・・

 ・・・・・・・・・・・

 これは真理と信じていたこと、すなわち、確信が崩れ去ったとき、日本民族がいっせいに改宗できる民族であることを、神が全人類に示したようなものである。

『日本・ユダヤ連合超大国』P52-54(小石豊、光文社)

 かりに一部合流で帰還はすでにかなっているという主張が正しいとするならば、なぜユダヤ人はいまもさかんに十部族を探し求めるのか。それはユダヤ人の悲願になっているのだ。ユダヤ人自身は一部合流では足りないのである。現状では、ユダヤ人は民族として完全に救済されていないと考えているのだ。
 なぜ聖書預言は、彼ら十部族の回復を語らなければならなかったのか。なぜ預言は、回復の時の到来をはっきりと繰り返し約束しているのか。なぜ帰還したとはどこにも記述されていないのか。

『日本・ユダヤ連合超大国』P79(小石豊、光文社)

十部族はユダヤ教には戻らない

 ご存知のょうにユダヤ人となることには、同時にユダヤ教を受け入れるという前提条件がある。
 それで民族的にせっかく可能性が認められても、ユダヤ教徒になり切ることの困難がいつも存在しているのだ。
 このように「アミシャーブ」報告の同族判断基準には、いまなお伝統的な解釈が主流を占めており、これは100年も前にマックレオドが問題点として指摘していた解釈と図らずも同じなのだ。このような基準で十部族を発見しようとすることは、まったく不可能といわざるをえない。
 なぜなら十部族は、現在は割礼もしていないし、顔つきも似ていないかもしれない。名前にヘブライ語が残る可能性も小さい。そのうえ、世界に散らばっているのではなく、むしろどこかにまとまっている可能性のほうが強いのだ。まして彼らがいまになってユダヤ教を素直に受け入れる、などということはまったくありえないことだからである。
 すると、ユダヤ人は十部族発見の決め手として、伝統的解釈とは別の新しい条件を模索しなければならないことになる。
 いったいユダヤ人と十部族が合体するという預言の意味は、どういう意味なのだろうか。
 はっきりしてきたことは、ユダヤ教が必ずしも判断基準ではなく、現状ではまだ把握できていない、また容認もできない新しい信仰や民族解釈が判断基準になるのかもしれないということだ。
 いま、これがぼんやりとわかりかけてきたということができよう。
 これは明らかに、メシアをイエス・キリストと信じることではないか。すでにそういうユダヤ教イエス派といえるユダヤ人は世界に10万人もおり、メシアニック・ジューと言われ、キリスト教会とは別に独自の信仰を保っている。
 そして聖書預言では「心の律法新しい契約」という、両民族すなわち、現イスラエル人と失われた十部族とが泣きながら歩み寄れる約束が記されているのだ。これは現在では想像できない性質のものといるしかない。

『日本・ユダヤ連合超大国』P140-142(小石豊、光文社)

ユダヤ教「私以外の神があってはならない」

 ユダヤ教の頑迷さが現れているのが、多宗教との峻別である。
「あなたには、私のほかに、ほかの神々があってはならない」
 という律法は忠実に実行される。多宗教とは露骨なまでに一線を画そうとするのがユダヤ教だ。そこにはなんの妥協も認めない。そのためにますます憎まれることになる。

『日本・ユダヤ連合超大国』P73(小石豊、光文社)