1986(昭和61)年「寅の年」のメモ書きと更新履歴(27歳)
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【1985(昭和60)年26歳の挫折から2年目】〜東大プロ雀士の井出洋介の雀士養成塾。
年が明けても「洋子」にいる。新井さんという青年が雀荘をしたいということで家口のところにきていた。
春ごろ、新井さんが50円麻雀をやりたいという。
秋には、この50円麻雀が当たった。
秋に東大プロ雀士の井出洋介が雀士養成塾を開催していたのでお店の顧客と一緒に参加してみた。
運命を決める一打と思った一打。
一流と超一流の差。
「相手の当たり牌は索子の6-9索子」
私の上がりは「9索子」。
引いてきた牌は、「6索子」。
私の読みの通り、相手が「6-9索子」待ちであれば、私に一流になれると思った。
私は「6索子」を河に切った。
相手が驚いて、「ロン」と言った。
この一打で、私は一流になれることを確信したが、超一流にはなれないとも自覚した。
超一流は、この局面では、必ず「9索子」を引いて上がりきるものだ。
こうして、養成塾にはいかなくなった。
すぐさま、文章で身をたてるべく、勉強できそうなペンションのバイトに募集した。
丸沼のペンションへ。
1月9日(木)、ようこで私27歳の誕生日を迎える
ようこで私27歳の誕生日を迎える。
春ごろ新井さんが「50円雀荘をやりたい」
新井さんが
「50円雀荘をやりたい」
ということで「ヒーロー」に移る。
「50円雀荘をやりたい」
ということで「ヒーロー」に移る。
10月ごろ、群馬県の丸沼でペンションの手伝い
このころの惨状を何とか抜け出したくて、群馬県の丸沼でペンションの手伝いへ。
翌年の2月ゴロまで勤務した。
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翌年の2月ゴロまで勤務した。
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