平成14年=2002年のメモ書きと更新履歴|月の光

2002(平成14)年「午の年」のメモ書きと更新履歴(43歳)

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2002(平成14)年「午の年」(43歳)の概況、天之斑馬事件の始まり

 43歳。
 会社のホームページ製作を練習台にして。
 5月11日(土)「月の光」(初版)ホームページアップ。
 5月14日に会社の社長の離婚調停があり、
 7月に入って一枚伝票に対応する新システムを組む。
 9月ごろ首都高速6号三郷線を北上し(足立区青井付近)、外環に向かっているとき、向かい側車線から小石がトラックのフロントガラスに実加って飛んできた。そのためトラックのフロントガラスに小さいヒビが入った。
 (※)平成26(2014)年12月16日(火)に振り返っているが、天之斑馬事件の始まりであったようだ。
 5社共同のホームページ製作で苦境に陥る前ぶりだったかもしれない。
 10月20日に光宮が生まれ、
 12月の初めにぎっくり腰で1週間ほど休む。
 12月23日に中国へ

1月9日(水曜日)、43歳、調停があり、光宮が生まれ、中国へ・・

 43歳だ。

5月11日(土曜日)「月の光」(初版)ホームページアップ・・

 「月の光」(初版)ホームページアップ。

5月14日(火曜日)協議離婚の成立・・

 年初から関わってきた協議離婚の成立。

 平成20(2008)年4月に完結するという内容。

 平成22(2010)年8月31日に振り返ると、平成20(2008)年5月に練馬からの移転があったのは、精神的に区切りがついたので、いろんなものの区切りをつけようという気持ちが働いたのだろう。
 鳩山の清算は終わっていると確信した。

6月9日(日)

 5月11日から岩戸開きに関係する神社として、阿智神社、丹生川上神社中社、菅田神社、鏡作神社、玉祖神社、春日大社、枚岡神社、金刀比羅宮、戸隠神社、伊勢神宮、吉備津神社、天岩戸神社、元伊勢内宮、日前神宮・国懸神宮、天照玉命神社の16神社を取り上げた。
 夏の旅行を踏まえて再度書き換えの予定です。

6月17日(月)、箱根元宮、箱根神社、九頭龍神社を追加

 箱根元宮
 箱根神社
 九頭龍神社(本宮)
 を追加。

6月30日(日曜日)

 伊奘諾尊・伊奘冉尊の系図
 天照神の年表

2002(平成14)年7月に入って一枚伝票のプロジェクトが動き出す

 7月に入って上位の会社が一枚伝票にするというので、それに対応するシステムを組むことになった。
 私が会社のホームページも立ち上げているので、関わってくれないかという話になった。
 こういうシステムを組むことに関われるなんて願ってもない機会、と思って快諾した。
 7月の海の日が終われば、仕事も暇になる。
 約一ヶ月ほどもすれば組めるのではないか?

 各社にそれに対応するお願いをして9月には配車システムができた。

 ところが、システムを組むとそのシステムが稼動するかを見続ける部署が必要となるものらしかった。
 私の業務内容は一気に密度が濃くなった。
 システムが動くかどうかを見極めて、それを確認してから配送に出る。

 こういう生活が私が事故に会うまで続いた。

9月1日(日)

 日本の聖地、阿智神社の前宮と奥宮
  探訪ノート「思兼神」
 「思兼命」のページから玉津島神社へ

9月11日(水)香良洲神社をアップ直後、女房が緊急入院

 昨年の9月11日がアメリカのテロ事件だった。
 その1周忌に香良洲神社を追加。
 探訪ノート「思兼神」の2ページ目からお入りください。
 香良洲神社を追加直後、むつみお母さんが出産準備のため緊急入院、願掛けもかねて、伊雑宮(「日本の聖地」の目次からお入りください)を急ぎ追加。

9月17日(火)、小泉純一郎と金正日による日朝首脳会談

 2002年9月17日、平壌の百花園招待所で、日本の内閣総理大臣・小泉純一郎(自由民主党総裁)と北朝鮮の事実上の最高指導者である国防委員長・金正日(朝鮮労働党総書記)が行った。 両者は「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉を10月に再開することで合意した。
 この会談により日本人拉致被害者の5人が帰還した。
 北朝鮮側は、“特殊機関の一部が妄動主義・英雄主義に走って”日本人を拉致した事実を認め、謝罪した。 日本側の安否確認に対して、北朝鮮側は地村保志、浜本富貴恵、蓮池薫、奥土祐木子の4人の生存を明らかにし、横田めぐみ、田口八重子、市川修一、増元るみ子、原敕晁、松木薫、石岡亨、有本恵子の8人を「死亡」と発表した。
 更に、日本側も把握していなかった曽我ひとみの拉致・生存と、横田めぐみの娘の生存も明らかにした。久米裕、曽我ミヨシについては入国自体を確認できないとした。
 日朝首脳会談は、日本国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との首脳同士による会談。2002年と2004年に2回開かれた。

9月22日(日)、キャンプに行く途中で秩父神社へ

 平成14年9月15日(日曜日)、秩父にキャンプに行く途中、秩父神社に立ち寄る。
 むつみお母さんはまだ入院中。子供たちの面倒を見るのって本当に大変なんだな。
 キャンプは、ヤギがいたり、ウサギがいたりで子供たちはオオハシャギでした。

9月23日(月)神戸市の生田神社

 三重県の香良洲神社が勧請されたという神戸市の生田神社

10月15日(火)、天体ショー

 天体ショウの切抜きをホームページに載せるのにとても苦労しました。読み込みソフト(OCR)を購入し、読み込みには成功したのですが、ところが、新聞は縦書きでホームページは横書きなのであえなく失敗。どうするかこうするかと考えたあげく、スキャナーをかけてトリミングするといういたって初歩的に思えるやり方になってしまいました。
 けれど、懸案だった天体ショーの記事をホームページに載せることができて一安心。こういう因縁ある日に伊勢神宮と至恩郷の前に立てたことを大変名誉あることと思っているんです。
 今日は北朝鮮から拉致された5人が一時帰国する特別な日。ここでも「5」が出てくるのだけれど、うまくことが運びますように。ちなみに、北朝鮮は昼子姫が天照神から幽閉された高麗国の一部。

地村保志・地村(浜本)富貴恵夫妻
蓮池薫・蓮池(奥土)祐木子夫妻
曽我ひとみ。

10月20日(日)辛酉の日、女子の誕生

 ようやく子供が生まれた。  私と美穂で扇内産婦人科に女房を連れて行き、産婆台にのってすぐにポロリと女の子を産んだ。

 アッケない出産だった。

 この子が受胎するとき、私は、波に乗った寿老人が陸に打ち上げられる映像をみていた。
 この子と寿老人は密接に関わっているのだろう。
 寿老人については、非常に気になっていたのだが、平成25(2013)年12月31日に非常に示唆に富んだ文章に出会った。

 『 岡本天明伝 [日月神示]夜明けの御用 』(黒川柚月著)PP88-89

 戦前、大本と提携していて、天明とも縁があった「道院・世界紅卍字会」の設立の発端は次のようなものだった。
 中華民国5年(大正5年)、神仙郷伝説が色濃い山東省浜県の県知事・呉福林と同県役人・劉紹基の2人が中心となり、洪解空、周吉中等が、県公署(役場)の中にあった尚仙を祀る祠前で、神意を伺うためにたびたび扶乩(フーチ)をしていた。
 あるとき、扶乩の質問で「天界の中で最も尊い神霊は誰か」との問いがあった。
 尚仙は
「それは太乙老人(たいおつろうじん)である」
 と答えた。
「太乙老人久しからず世に降り、劫を救い給う。これは数万年遭いがたき機縁であるから、汝らは精進潔斎して壇を設けて、これを求めよ」
 として南極老人(七福神の寿老人)を介して太乙老人の降臨を仰いだ。
 数日後の壇に、南極老人(七福神の寿老人)を先駆としてついに太乙老人の神霊が降臨した。それから壇(扶乩を行う祭壇)を設けては、たびたび指示を仰ぐこととなった。
 扶乩の啓示により壇を設けた場所を「道院」と定めた。奉唱される御神名は「老祖」と言い、または「至聖先天老祖」、正式名を「青玄宮一玄真宗三元始紀太乙老祖」とする宇宙最高神である。

 子供の名は「光宮(みく)」とする予定。

 今日は私の母の誕生日で、『ひふみ神示』がよき日としている辛酉の日。
 日本全国曇りではあるが、この子の誕生に深い感銘を受けている。
 ちなみに実加、展地、美穂が生まれたときは快晴だった。

10月21日(月)出生届の提出

 出生届を練馬区役所に提出に行く前に、むつみお母さんと相談して「光宮」の読み方を「みや」とすることに決める。「やみ(闇)」をひっくり返して「光の世」になるようにという願いを込めた。
 この子の顔の相と、北朝鮮に拉致された家族が一時帰国している最中に生まれてくるという世相を鑑みると、稚姫君命(昼子姫)の因縁が感じられてくるので、なおいっそう「闇」を晴らす意味を込めたいと思った。それで、急きょ「みく」から「みや」へ読み方を変更。
 また、「罪」を晴らすという意味も込めてある。「光(みつ)(みや)宮」と音訓入り乱れるが、「つみ」をぬくと「みや」となるからである。
 ちなみに、上の子を「実加」と命名した理由の一つは「ミカエル」にちなむ。
 「私は実加得る」あるいは、実加が生れてから私の本当の人生が始まったようなものなので「私は御神得る」、と「私は身返る」をかけた。
 〜実加の部分は平成15年7月26日、宮城県の地震のさなかに加筆。

10月26日(土曜日)母子ともに退院

 母子ともども今日退院。
 稚姫君命にゆかりの神社(玉津島神社、香良洲神社、生田神社)に目次から入れるようにしました。これまでは、思兼命から入るようになっていました。
 また、子どもが生まれた記念にと思ってページ印刷を試みた結果ことごとく失敗。
 ページを作成するとき、そのままの大きさで印刷されることを想定していないことが原因と判明。印刷することを考えて順次構成を変更していきます。

11月8日(金)中国共産党第16回全国人民代表大会の開催

 平成14(2002)年11月8-14日(金-水)の日程で、中国共産党第16回全国人民代表大会の開催。
 注目すべき点は、第16期中央政治局常務委員として9名を選出した点。
  胡錦濤(総書記)、
  呉邦国、
  温家宝、
  賈慶林、
  曽慶紅、
  黄菊(2007年6月病死)、
  呉官正、
  李長春、
  羅幹 

12月25日(水曜日)、展地の誕生日

 このホームページ『月の光』で扱うことが適切でないため、別系統で2つのホームページを開設しそこにリンクを挿入。
 『佐渡島から羽黒山へ』
 『めをとBooks』 の2つ。

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