平成12年=2000年のメモ書きと更新履歴|月の光

2000(平成12)年「辰の年」のメモ書きと更新履歴〔41歳〕

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平成12(2000)年2月1日(火曜日)、新社長・・

 社長の交代。

平成12(2000)年2月11日()、実加の誕生日・・

 実加の誕生日からガーデンコート高野台への引越し準備を始めた。
 女房のお胎が大きくなっている。
 美穂が生まれる頃には新しい住居に移っていたい。

平成12(2000)年3月3日(?曜日)、Tomiさんの手術・・

 Tomiさんの手術・・

平成12(2000)年3月13日(月曜日)、美穂誕生・・

 美穂誕生・・

平成12年4月2日(日)、小渕恵三元首相脳梗塞を発症・・

 首相在任中の2000年(平成12年)4月2日(日)に脳梗塞を発症した。
 実はこの前日4月1日(土)、連立与党を組んでいた自由党との連立が決裂しており、4月2日(日)午後、政権運営がより困難になったと思われるこの緊急事態について記者から質問されると小渕はしばし答弁できず無言状態となっていた。
 言葉を出すのに10秒前後の不自然な間が生じていた。
 これは一過性の脳梗塞の症状と考えられており、梗塞から回復したときに言葉を出すことができたとされる。
 元々小渕には心臓病の持病があり、それに加えて首相の激務が脳梗塞を引き起こしたと考えられている。
 執務終了後、公邸に戻ってもおびただしい書類、書籍、新聞の切り抜きに目を通し、徹夜でビデオの録画を見るのが普通で、一般国民にまでかける数々のブッチホンも激務に拍車をかけた。
 小渕は意識が判然としないまま、当日夜、順天堂大学医学部附属順天堂医院に緊急入院したとされる。
 そして、執務不能のため内閣官房長官の青木幹雄を首相臨時代理に指名したとされる。
 しかし、青木の首相臨時代理就任に関しては脳梗塞で既に意識を完全に失っていたかもしれない小渕本人に果たして指名を行うことが出来たか否かが野党・マスメディアに「疑惑」として追及された。
「疑惑」の張本人であり小渕首相の臨時代理でもある青木自身が「脳死ではないのか?」との記者からの異議申し立てを却下したため、また、担当医師たちが曖昧な説明ないし指名は不可能だったと思わせる説明しかしなかったため疑惑は残り、後任の森喜朗総裁誕生の舞台裏と併せて「五人組による密室談合政治」と批判される原因となった。
 4月5日(水)、小渕首相が昏睡状態の中、青木首相臨時代理は小渕内閣の総辞職を決定した。内閣総理大臣の在職中の病気を理由とした退任は1980年(昭和55年)6月に急逝した大平正芳以来20年振りのことであった。
 その後も小渕の昏睡状態は続き、意識を回復する事の無いまま、倒れてから約1か月半を経た同年5月14日午後4時7分に死去。
 62歳だった。
 なお奇しくも父と同じ病気で倒れ同じ病院で亡くなっている。

平成12年5月14日(日)、小渕元首相を乗せた霊柩車が首相官邸につくと国会に激しい雷鳴・・

 小渕恵三首相在任中の2000年(平成12年)4月2日(日)に脳梗塞を発症し、順天堂大学医学部附属順天堂医院に緊急入院。
 倒れてから約1か月半を経た同年5月14日午後4時7分に死去。
 故・小渕恵三元首相の遺体を乗せた霊(れい)柩(きゅう)車が首相官邸の坂を上がり、公邸にさしかかった瞬間、突然激しい雷雨がやってきて、官邸に雷が落ち、国会に激しい雷鳴がとどろいた。
 政局の中心にはやはり、自由党党首として小渕氏に連立離脱を突き付けた小沢氏がいた。
 平成10(1998)年7月30日(木)の首班指名で衆院での首班指名は小渕恵三、参院での首班指名は菅直人であった。

平成12(2000)年7月28日(金曜日)〜、愛知・三重・奈良・大阪

 平成12(2000)年7月28日(金曜日)〜8月3日(木曜日)、愛知・三重・奈良・大阪を周る。
 天香久山へ8月1日(火)に行くが登頂はしなかった。

10月6日(金)、鳥取県西部地震が発生

 2000(平成12)年10月6日(金)13時30分18秒、鳥取県西部を震源としてM 7.3の地震が発生した。
 鳥取県西部地震(とっとりけんせいぶじしん)と命名。

 地震空白域とされる地域で発生した。

 1996年の震度階級改正以来初めて震度6強を記録した。
 気象庁マグニチュードが7を超す大地震だったにもかかわらず、何人かは生き埋めとなったが救助され、死者は無かった。

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