平成15年=2003年のメモ書きと更新履歴|月の光

2003(平成15)年「未の年」のメモ書きと更新履歴(44歳)

1月4日(土)、トラックで自損事故・・

 1月4日(土曜日)早朝、東京都東大和市奈良橋でトラックの自損事故
 奈良橋2丁目623番地だった。
 1月4日(土曜日)〜2月21日(金曜日)の間、第一回目の入院。
 退院のとき、骨化筋炎と診断され、一年間のリハビリ禁止を言い渡された。


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2月21日(金)、東大和中央病院を退院

 1月4日(土)早朝、東京都東大和市奈良橋でトラックの自損事故
 1月4日(土)〜2月21日(金)の間、第一回目の入院。
 退院のとき、骨化筋炎と診断され、一年間のリハビリ禁止を言い渡された。
 女房が迎えに来れて、帰りに東大和警察署に立ち寄って、事故を処理してくれた警官のお礼を言わせていただいた。
 毎月1回通院し、一年後に再手術になる。
 この年から丸3年以上、手術とリハビリの生活を続けることになった。
 神社周りの再開は、2005年からだ。

3月14日(金曜日)

 ようやく、恵奈神社を掲載することができた。天照大神さんに所縁の神社にはとても気を使う。

3月16日(日曜日)

 目次の構成を変えました。なるべく神話の流れに沿うようにしました。
 また、那岐那美両神の物語は本ホームページ「月の光」で取り上げるのではなく「めをとBooks」で取り上げる予定です。

3月22日(土)、西金砂神社と東金砂神社の「金砂神社磯出大祭礼」 

 西金砂神社と東金砂神社には奇祭と呼ばれている「金砂神社磯出大祭礼」がある。
 この祭事は72年に1回(未年)というとても長いスパンになっているので、
「二度見る者は稀である」
 と言われる。
 水木浜への渡御は
「金砂の神は是浜磯大しまと云所より出現し給ふとも申伝ふ」
 という故事にもとづき、851年(仁寿元年)に第1回目が開催され、2003年(平成15年)3月22日〜3月31日に第17回目が開催された。
 渡御行列は発着地となる西金砂神社と東金砂神社から日立市水木浜間を約1週間かけて約75km間を往復する。先に西金砂神社から出発し、3日遅れて東金砂神社が出発する。
渡御行列が神輿を担いで、西金砂神社・東金砂神社と水木浜を延べ10日で往復する。
「金砂神社磯出大祭礼」を72年に1回(未年)開くように神様(大己貴命)が求めているが、この「72年」という数字は歳差運動を象徴している。
 歳差運動の一周は25920年で、天宮を一度回転するのに必要な年数は「72年」になっている。
 25920年×1/360=72年
 大己貴命が私に要請してきたのは、2012年12月21日の歳差運動の一周といわれるグレート・イヤーを迎えることによるらしかった。
 地球の自転軸(地軸)は、罪穢れを測定する目盛になっている。大(おお)祓(はらえ)祝(のり)詞(と)に書かれているように、罪穢れは、科(しな)戸(ど)の風(かぜ)の天(あめ)の八重(やえ)雲(ぐも)を吹き放つように大気に放たれ、あるいは大(おお)海(わだ)原(のはら)に押し放たれたりして浄化の運動に入る。この浄化の運動のなかで浄化しきれなかった罪穢れが地軸の目盛に蓄積されていくらしい。人の世でも、年末に一年の汚れを大掃除するように地球や太陽系も定まった時(とき)に定まった大掃除するようになっているらしい。どの程度汚れているのかを見定めるために、地軸にある目盛にどの程度の罪穢れが蓄積しているかで判定するらしい。

4月2日(水曜日)

 王仁三郎が捉える思兼神をようやく収録しました。
 この部分は、入院(1月4〜2月21日)しているとき、王仁三郎関連の書籍をまとめて読めたので、読みあてることができた部分です。

4月11日(金曜日)

 那岐那美両神が天照神の誕生を祈り、そして天照神が即位されたという酒折の宮を掲載。

4月27日(日)、

「大和飛鳥の地を取り上げるのは早すぎるかも知れぬが、取り上げねば成らぬときが来たか。」
 素盞鳴尊さんの言葉だと私は思った。

5月9日(金)小惑星探査機「はやぶさ」が打ち上げに成功

 平成15(2003)年5月9日、小惑星探査機「はやぶさ」が打ち上げに成功。

 平成22(2010)年6月13日(日)に帰還し、「はやぶさ」から切り離されたカプセルはオーストラリア中南部ウーメラの砂漠に落下。

6月23日(月曜日)

 『ひふみ神示』のページと至恩郷の地図を掲載。
 さらに、『竹内文献』と皇祖皇太神宮のページを掲載。
 『竹内文献』あるいは『竹内文書』については、そのうちに触れる機会があると思う。
 本文は、6月24日の日付になっているが、ある出来事をきっかけにして急きょ一日早めることにした。
 今日のNHK7時のニュースのとき、小学2年生の実加が天気予報に使われる日本列島を見ていった、
 「お父さん、ほら竜神さんがいるよ」
 九州を人差し指でさし、
「ここが頭でしょ、四国が足なんだよ、そしてここがシッポだよ」
 と説明をしてくれた。
 宇宙には宇宙を司る竜神が居られ、銀河系には銀河系を司る竜神が居られ、太陽系には太陽系を司る竜神が居られる。
 地球もしかり、日本もしかり。子どもの声を通して、神は日本に日本を司る竜神が宿られた事を告げてくれたのかもしれない。
 ちなみに、五色五頭の竜神は私の実家の2階で見た事がある。
 夜中に私の前に現れてきた。
 初めてのことだったので、本当にビックリした。
 五色五頭の竜神を壁に映して、怖さをごまかそうと夜を徹して語りあおうとした事がある。
 そしてまた、岡山県の熊山で現れてくれた竜神は、黒竜に金縁のある竜神だった。見た瞬間、太陽系を守護されている竜神だと私は思った。
 日となり、影となり竜神には何かと縁深いようだ。
 竜神さんのご縁に感謝。

7月26日(土曜日)

 九州での台風の被害と7月25日と26日の宮城県の地震の共通項は高天原だ。
 富士山上空1万メートルのところにかつて高天原があったと云う。
 その範囲は、宮城から九州までだったらしい(宮崎駿の『天空の城ラピュタ』のモデルは実は日本にあったのかもしれない)。
 現在起きてる九州と宮城の天災地変と思われる事柄は高天原が高天原として現れてくるための地ならしか?
 昨日(7月25日)、太神は「もう動いてもよいぞ」という。「動く」手始めにホームページのトップページを変えた。
 それにしても宮城に地震があるからというわけではないが、かつての「日高見」といわれた宮城県の多賀城市と金華山に行ってみたい。

 

8月24日(日曜日)

 平成12年3月13日に次女の美穂が生れる前後の頃、
 鳥居礼氏の『日本超古代史が明かす 神々の謎』(日本文芸社)、
 宮路正典氏の『新説 ホツマツタヱ』(徳間書店)、
 高坂和導氏の『超図解 竹内文書 T・U』(徳間書店)
 の4冊を光ヶ丘の文教堂書店で買い求めた。
 一読して、それぞれが労作だと思った。
 そして、八幡書店の『完訳秀真伝』を高価だったが買い求め読み勧めてみた。
 『秀真伝』を眺めて「よくもまあこんな大それた本が残っていたものだ」というのが率直な感想だった。ただただ感服するのみ。

 その『秀真伝』関連のリンク集を掲載。

 

9月5日(金曜日)

 広田神社のページを編集していて、あまりにもピンボケ写真が多いため、トップページに、再掲載可能な写真をおく打ていただけるように、「お願い文」を掲げる。

 

9月7日(日曜日)

 兵庫県西宮市の広田神社を追加。

 

9月15日(月曜日)

 デーゲームの阪神ー広島戦は3−2、続くマジック対象チームのヤクルトは横浜と対戦の結果、12−6で敗れる。
 18年ぶりの阪神優勝だという。そういう日に西宮神社をアップデイトできたことを喜びを持って受け止めている。
 阪神が前回優勝した1985年、私はようやく進学した大学院修士課程中退し、どのように自分の進路を決めてよいか全く判らない状況になっていた。
 流され、さらに流され「下民の流浪」生活に入っていったといって過言ではない。
 自分の首根っこを何者かに掴まれて、自分が意図しない方向に進んでいく。
 もがき苦しんだ私は、流れに逆らうのをやめて行き着く先に行き着いて、そこから這い上がってくるしか道はなし、と意を決して流されながら進んできた。
 罪も犯したし、自ら穢れの中に入っていったこともある。
 しかし、幼い頃からの私の宿命は、「救いの道」にあると常に自覚しながら社会のアウトサイダーあるいはドロップアウトといわれる層に私はいた。
 平成(1989年)の結婚を期に、いわゆる表の世界に復帰した。
 しかし、その結婚生活もうまくいかなかった。
 また伴侶を得て、ようやくこういうホームページ書き上げられるようになった自分がいる。
 阪神優勝という大きな歓喜は、人々の心の奥底に沈殿していたものを浮き上がらせ、今までチリの堆積に埋もれて廃墟となってしまっていた地の国の神殿を見事組上げてくれたようだ。
 うす〜く、あわ〜く白金に輝く神殿の映像が送られてくる。
 私は今年(平成15年)4月27日付で次のように書いた。
「 現在の大阪府大阪市天王寺区にある生国魂神社は神武天皇が創建された大倭開都島神をまつる由緒ある神社であるが、道頓堀の色町の中心にあるといっても過言でないところである。
 『ひふみ神示』が「イロにとらわれてこの世をおかしくしてしもうた」
 と記述するのを象徴するかのような地帯となっている。そういうところが改められなければ成らないように思えるのだか、さて、どうするか。 」
 (『月の光』>日本の聖地>大和三山のメモ書き  より)
 神々は、人々の大きな感情の発露を、極めて効果的に活用になられているようだ。

 
神社から授与されたお札を御札立てで大切に祀りましょう
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